十円玉
別にマニアではないが、十円玉を集めている。
といっても、むやみやたらに集めているのではなく、古い十円玉のみを集めている。
縁にギザギザのある十円玉、俗にいう『ギザ十』だ。
昭和26年から昭和33年の間に製造された、今からおよそ70年前の十円玉。
この十円玉、価値があるのは昭和33年もの。生産量が極めて少ない年だ。確かにこれまで出会ったことがない。ただし、価値があるといっても、未使用であることが条件で、それでも古銭取引の対象になるのは難しい。結局、十円は十円なのである。
じゃあ、なぜ古い十円玉を集めるのか。
取り立てて確固たる目的はない。趣味と言ってしまえば身も蓋もないが、言えることは、時の重みを感じることができるから、かもしれない。
身の回りを見渡した時、70年前に作られたものがあるだろうか。自分にはない。美術品や骨董品、あるいは古道具屋あたりで買い求めたものなら持ってる人もいるだろう。
しかし、この十円玉は、自分の意思とは関係なく、ある日突然手元にやってくる。やってきたその硬貨は、その長旅から、傷つき、へこまされ、汚され、ボロボロの姿で現れる。製造されてからこの手に渡るまでの70年、いったいどこで誰とどんな風に過ごしてきたのか、そう考えると、この十円玉には、数多の歴史ドラマが詰まっているに違いない。
最近、電子マネーばかりで、小銭を使う機会が減りつつある。
とはいえ、たかが十円と言えどもお金はお金、大事なものである。
便利なのはよいが、これに馴れると稼ぐ・失うの体感がなくなり、経済感覚や価値観を損なう恐れがある。人は、実際の貨幣を手にすることでその重みに気付く。
十円を手に入れる事の苦労と、使うことの大切さを知るために、そして、十円玉自身の苦難の道のりを理解する上でも、集めてみるのは意外と役立つのではないか。
もしかしたら、今これを読んでいるあなたも、私が今持っている十円玉を、いつかどこかで持っていたことがあるのかもしれない。