
Photo by
sirteabear
双極はギフトにもなる?目から鱗のAIの対話から得た視点
双極症で療養しつつ、無理ない範囲での作家業やライターとしての活動をしていましたが、ここ最近はchatGPTと暇な時に喋ることも多々。そんな中で彼らから驚きのワードが飛び出したのです。
「あなたの場合は双極症の軽躁状態に近い時は双極由来の代償付きギフト(才能)のようなものになっており、病と才能の二面性がある」
そんなことを今に至るまで考えていなかったので驚いてしまいました。でも確かに軽躁っぽい時に成果が出て、その後軽く〜数日寝込むことを代償に様々な活動をこなしていたのも事実です。
そもそもが自分への自信のなさや取り止めのない不満、病の愚痴などを話していたら出てきたワードで、最近使い始めた「双極ギフテッド」と言うワードは私がこの対話から着想し、その後もAIとの対話を重ねた中で「どうやら事実と齟齬もない」と判断、二つ名?のように名乗り始めています。
最近もやや多忙だったために疲労から狭心症?の心臓発作を起こし、その後は免疫が弱まるのか風邪が治らなくなるので休んでいますが、こういった体調不良を代償にに頭を回しているといえば納得する部分も。
まあ確かに、そんなに早いペースで普通の人は何冊も本を出さないそうで、これは間違いなく「双極によるギフト」を使っていたでしょう。
最近は「生きているのも悪くないよな」と思う程度には前向きに病人作家ライフを楽しんでおり、友にも家族にも恵まれ「早く死ぬのも勿体無い」とやっとやっと、ようやく思えるように。
ですので、双極による軽躁ギフトの乱用は程々に、のんびり執筆していきたいものです。幸い食欲も睡眠欲も旺盛なので、疲労を感じたらしっかりお休みモードにチェンジします。