酩酊
透明な傘の下で雨に濡れることを忘れていた。私は何も知らなくていいと、あなたが口を噤んで微笑む。砂は落ちてゆく。あなたは言う、もうすぐ夜が来るよと。夜はあなたに似合う言葉ではないから、あなたにこそ似合わない言葉を私は探し続けていた。あなたは静かに目を伏せて、私は雨音が響く中、そっと耳を塞ぐ。砂時計は緩慢に音もなく降り積もってゆく。
世界が息絶えて眠りはじめるまで、あなたの目蓋に、頬に、睫毛に触れて居たくて手を伸ばせば、魚のようにするりと消えてしまうのだろう。透明で硬質なこの世界の中から、ただひとつ何かを連れ出せたなら、きっと私はあなたに触れてみたかった。
あなたの輪郭は淡雪に似て、その心の裡までは、私には知りようもないけれど。
時計の砂が零れるのを止められないあなたに似合いの言葉を見つけたから、それをいま、あなたの名前に重ねる。
忘れはしないと無駄に誓うたび、砂が落ちていくというのなら、息の根が止まるその瞬間にも、ただひとり、あなたを想っているでしょう。砂に埋もれたものがいつか溶けてしまうまで、透明は透明のままでただそこにある。
砂は流れない。砂は止まらない。砂は流れない。砂は止まらない。花びらを千切るように運命を天秤にかけていく。夜を溶かしたようなあなたの瞳が此方を向いた気がしたが、それは私の錯覚に過ぎないのだった。あなたは終わっていて、私も終わっている。だから、私たちの賭けは、勝とうが負けようがもう価値のないものだった。あなたが手招きする、夜はいつまでも明けないままで、止まった時間と私の意識は融解していく。
貌のないあなたが私の瞳を覗き込んで笑う。笑っていると判ってしまったから、崩れゆくあなたの残骸から逃げることは叶わなかった。極彩色が視界を満たして、やがて、すべては砂の夢にうずもれて、もう二度と戻れないのだという事実だけが、私の喉に焼き付いて叫び声をあげる。
この手で壊した黄昏の中にあった神秘たちは、みな等しく砂となって散ったはずだ。
それで良かったのでしょうと、何かによりかかろうとしたのに、其処には何も居なかった。
私の心臓を埋めたのは何であったか、思い返そうとするたび記憶が霞む。砂が落ちて消える。私だけが、まだここに残っている。
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