ひずむテラリウム
海より深く、星明かりさえ届かないとこまで深く沈めたら、どうかどうか沈めてくれよ私のこともあなたのことも誰も彼も忘れてしまうくらいにさあ!
私があなたを嫌いだと言った日、「奇遇だ」とあなたは言って、それがとても嬉しかった。
「そうか、わたしもおまえが大っ嫌いだから、おあいこだな!」
吐き捨てるように私はそう言って、土砂降りの雨に濡れたアスファルトの黒さに目を奪われた。どこにも行けないままどこかへ行けるってわかる? どこまで逃げればいいかな。誰が追ってくるかな。なあ、追いかけられてもいいよな。そうしておまえなんか途中でマンホールに落ちてしまえよ。あなたはずるっとつんのめって、頭を思い切り打って、動かなくなった手足が雨に濡れながら投げ出されていて、私は泣き出しそうになって、でも胸のどこかであなたの無様に安心していたかったんだ。滲んだ血はすぐに流れて、あなたは私達の影のしたで密かに水と混ざりあって、いずれ名もない草として芽吹く。
あなたを埋めるわけにもいかないし、私を埋めてくれる人もいないから、ふたりしてびしょぬれのまま、傘もささずに歩いた夏の夜。私は大声でみっともなく泣いていて、あなたはただ黙って、私にぽかぽか殴られていた。あれほど憎んでいたはずのあなたを、今はもう顔すら思い出せない。
いつの間にか私たちは大人になっていた。
いつの間にか私たちの関係には名前があった。
いつの間にか私たちも全てに耐えられなくなっていて、崩れるにはほんのひとすじひびが入るだけでよかった。
あの夏の夜は今でもまだ鮮やかなのに、焦がれた火花は弾けてしまった。水溜まりに映った花火を濁った瞳で眺めていた私たちは、いつまでも晴れはしないんだろうな、きっと。
下水道に沈んで息を止めたら、あなたを忘れてしまえると思った。雨は私の代わりに降ってはくれなかった。いつになっても、どこまで行っても、青空が犬のように私を嗅ぎまわり続けるんだ。青と春の間にはさまる空は邪魔者で、いつも灰色に曇って泣いていた。虹でも探せばよかったのに、花火だって泥を塗られた顔をして泣いているんだ。
いったい誰様の人生の付属品だよ。
我が物顔で泣くなよおまえらが。そんなん笑うしかないから。
記憶の底に沈んだ夏の夜の暗がりは静かすぎて、雨と心臓の音だけがひゅうひゅうとうるさい。ねえ、このまま、ふたりして消えちゃおうか。あの日奇遇だと言ったあなたの背中には、もうとっくに聞こえないのにね。
星もない夜の真ん中に置き去りにされたまま、遠くから聞こえる誰かの足音を枕の下に隠して眠る。
さよなら、あなたが私に埋めたもののすべてを、いつか叩き返してやりたい。さよなら、私が殺せなかっただけのあなた。あなたは匿名性に守られていて、水槽はいつだって無重力だ。水のにおいがするだけの部屋で、あなたは私の薬指に小さな傷をつける。
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