6歳のりかちゃんへ 3月が近くなって来ましたが まだまだ雪の降る日も多いですね。 朝晩の冷え込みは厳しいので 温かくして寝てください。 6歳のりかちゃんが 生きて行くことに絶望を感じてしまった時も 今日みたいにまだ寒い日でした。 私の娘もあなたと同じ6歳です。 娘はサンタクロースがいると心から信じていて 毎年手紙をツリーの下に置き 翌日手紙が無くなっていると 目を輝かせて喜びます。 娘は春から始まる小学校生活を とても楽しみにしていて 不安は微塵
あの資格を取れば あの服を着れば あのお店へ行ったら あのケーキを食べたら あの本を読んだら あの映画を見たら 何か変わるかもしれない。 ワタシは外側が変われば 内側のドロドロとした苦しさから 開放されると思っていた。 何かが違うと思っていたが 不快すぎる感覚を感じたくなくて がむしゃらに進み続けた。 正社員になれば 結婚すれば 子どもができたら …… 結婚して8年目に ようやく子どもを授かった。 転職してからすぐの妊娠だったので 産休
高校を卒業してすぐ 進学のため 一人暮らしを始めた。 大学の近くにあった 四畳半の台所お風呂トイレ共同アパート。 家賃は2万円。 ふすまの無いお仕入れみたいな スペースがあったので そこをベット代わりにした。 お仕入れで寝てるドラえもんみたいで とても気に入った。 食生活と住空間が変わったからか 体調はグンと良くなって行った。 顔中に広がっていた 膿をもったニキビは少しずつ 改善していった。 気の合う友達も出来た。 一緒に授業を受けたり 大
小学校5年生の冬 ワタシは‘’ハンプティダンプティのうた‘’ を思い出そうと赤いソノシートを探していた。 確か ‘’ハム ハム ハムは 美味しい‘’ で始まる歌だった。 母に言っても覚えていない。 押し入れの奥に見た気がして 何度も探したけれど見つからなかった。 その翌日のこと 頭痛がしたワタシは保健室へ行った。 頭痛は悪化。 吐き戻したワタシは そのまま意識を無くし 救急車で運ばれた。 その時のことは 断片的には覚えている。 担任の男の先生
恥ずかしい気持ちは 顔が受け止めてくれるのだそうだ。 小学校高学年くらいになると ワタシの顔は膿のあるニキビで びっしりと覆い尽くされた。 食欲が押さえられなくなり 毎日ポテトチップスを一袋食べ 夕飯に唐揚げを食べ デザートにアイスを食べた。 油っこい食べ物ばかり たくさん食べたので 頭皮や顔がベトベトになった。 身体中に湿疹も出た。 医者からは 食生活を改善するように言われたが 食べることを止められなかった。 そんなある日 突然お風呂に入れ
もちろん家族との楽しい時間もたくさんあった。 母は料理を作ること 食べることは 好きだったので 夕飯のおかずは毎日3品以上あった。 食べ物に関しては 母の‘’面倒くさい‘’が発動することは無く オーブンを使って 大きなチキンを焼いたり スパゲティ入のグラタンを焼いたりと 手間をかけて ご馳走を作ってくれた。 4歳の誕生日に 母が手作りのケーキを作ってくれた。 スポンジが膨らんて行くのを オーブンにかじりついて 眺めた。 結局、スポンジは膨らま
祖父も父も喘息だった。 ふたりとも大人になってから 症状が出てきたらしい。 ワタシも小学校2年生になる頃には 季節の変わり目ごとに 喘息の発作が出るようになっていた。 ハウスダストが悪いと医者から指摘され カーペットが片付けられたが 毎日使う布団は古いまま 床はホコリだらけのまま。 母が掃除機をかけることは無い。 たまに気が付いた父が ブツブツ怒りながら掃除機をかけてくれた。 症状が改善することは無かった。 喘息の発作は 学校でも出るようになって
何にもしないでタバコを吸ってばかりの母のこと 怒鳴り散らしてばかりいる父のこと 気が狂ったように悪口を言い続ける祖母のこと ワタシの家族の異常さを みんなが知ったらどう思うだろう。 ウワサのネタにされ 学校や近所でバカにされるかもしれない。 この人たちと同じ血が流れている ワタシのこともバカにされるだろう。 きっと、 みんなからかわいそうな子どもだと言われる… そう考えはじめると ワタシの中は恐怖と羞恥心でいっぱいになった。 なんとしても この家族
小学生になると 母への不満は ますます積もって行った。 学校からのプリントは いつも醤油で汚れた テーブルの上に置かれた。 ワタシはプリントに醤油のシミがつくのが イヤだったので 「ご飯が終わったらテーブル拭こうよ」 と言ってみた。 「わかったよ」 と母は言うものの テーブルは拭かれない。 その後、何度か言ってみたが 母がテーブルを拭くことは無かった。 そもそも家には テーブルを拭くようなフキンも無かった。 ワタシは考えて 父にプリントを渡
その日は突然やって来た。 もうすぐ卒園を迎える まだ寒い冬の日。 幼稚園の行事でクッキーを焼いた。 母が園まで来てくれて 一緒にクッキーのカタチを作った。 ワタシはいろんな型のクッキーを 作ってみたかったけど 母の面倒くさいに押し切られた。 他の親子を見ると 手馴れた様子で型を上手に使って キレイに作っている。 お母さんが子供に話しを聞いて 楽しそうだ。 なんでワタシ達はギクシャクしているのだろうか。 なんであんまり楽しくないのだろうか。 隣り
病気にかかってばかりのワタシと違って 弟ふたりの身体は丈夫だった。 体格がよかったので、 知り合いからの誘いで 長男は剣道 次男は柔道 とそれぞれ町のスポーツ団に入った。 ワタシには 仲間と練習を頑張っている 弟たちが楽しそうに見え 羨ましかった。 羨ましさは ‘’寝てばかりいるワタシは姉らしくない‘’ という劣等感に変わり 弟たちと話すことはほとんどなかった。 ワタシは自分のことだけで精一杯だった。 剣道も柔道も高校を卒業するまで 続けたそ
祖母とは対照的に 祖父は痩せていて とても無口な人だった。 家のすぐ隣りに2階のある小屋があり 祖父はそこで機械部品にヤスリをかける 内職をしていた。 小屋の2階へ行くには 車庫の奥にある急な階段を登る方法と 家の窓から登る方法があった。 小屋に面している窓を開けると 下側の3分の2くらいが小屋1階 上側の3分の1くらいが小屋2階に 通じていた。 窓を開けてよじ登り 小屋の2階へ行き内職をするのが 祖父の日課だった。 ワタシもよく窓から小屋の2
「なんでそんな所においたんだ! 食べれないねっか!」 突然、祖母が怒りだした。 幼いワタシは裏山のゼンマイを採って 裏口の階段へ並べていた。 急な事にポカンと祖母を見る。 ブツブツ言いながら怒り続けている。 怒りでいっぱいの目。 ワタシの方を見ようともしない。 祖母の口の端しから泡が出ている。 ‘’おばあちゃんがそこに置けって言ったんじゃん‘’ と言おうと思うが身体は強張り声が出ない。 ブツブツと怒ったまま 祖母は家の中へ入って行った。 重くて泣き
父の実家はお寺のすぐ近くにある 古い町家だった。 1階と2階があり それぞれ別々の家族が使っていた。 父方の祖父母は2階に住んでいた。 木の格子がはまった窓。 色が黒くなって 登るとギシギシと音のする急な階段。 共同で使われている 古い土間と台所とトイレ。 古いけれど隅々まで手入れされていて どこか懐かしい魅力的な家だった。 たまに家族で遊びに行くと 「よく来たね」 と祖父母は喜んでくれた。 小さな部屋は いつも綺麗に片付いていた。 お菓子が
幼稚園の何かの宿題で ‘’名前の由来を調べましょう‘’と言われ 母に質問をした。 「お父さんの亡くなったいとこの名前を 付けたんだよ」 と言われた。 父の実家は県内の中心部にある 真宗のお寺だった。 そのお寺であった法要の写真を思い出す。 セーラー服を着て髪を三つ編みにした きれいなお姉さんの遺影が飾られていた。 ワタシの名前は漢字で‘’理香‘’と書く。 ぽっちゃりで太り気味のワタシよりも 亡くなったお姉さんにぴったりな名前だ。 父に亡くなったりか
18歳、高校卒業後に就職した会社で 父と母は知り合ったらしい。 母は仕事をしながら 自動車学校に通い 3回以上も試験に落ちてやっと合格。 ゲットした車で会社へ通い しょっちゅう駐禁で捕まっていたらしい。 一般的な母親なら絶対に隠しておくような そんな事を幼いワタシに話した。 「なんで電車でいかなかったの?」 とワタシが聞くと 「遅刻しそうだったから」 と答えた。 母は時間に合わせて行動することが出来なかった。 …いや、今でも遅刻がフツーだ。 「な