「一年一組 せんせいあのね」
「一年一組 せんせいあのね」 詩とカメラの学級ドキュメント
先生と生徒の交換ノート。
あのね帳に詩という形でやり取り。
詩を通しての学び。
先生と生徒の絆。
双方通行のやりとり。
教育とは。と考えさせられる一冊。
何書いてもいいよ
なんでもいいよ
正解はないんだよ
生徒と信頼関係を築き上げて、ホンネを書くいちねんいちくみの生徒。
最初からみんな書けたわけではない。
どんどん書かせる。
失敗だろうが、書かせる。
書かない場合もある。
書きたい時にいきなり書く生徒もいる。
なんでもいい。
でも書くよう促す。
そこに丁寧に対応する。
自信につながる。
信頼もできる。
詩を書くことで更に信頼が深まる。
どんどんその生徒の中身が露わになる。
そこには、
人間の素直さ、ピュアさ、滑稽さ、切なさ、優しさ、愛らしさ、ずる賢さ、やりきれなさ、悔しさ、悲しさが散りばめられている。
見たまんまを飾り気なく書いている。
頭を通さずに書いている。
身体で感じたことを書いている。
素材のまんま。
ひねりなし。
でも大声で笑ってしまう。
これを良しとする先生の、つまり大人の在り方に心詰まる。
正解を設定しないで、そのままを引き出させる。そんな環境をつくる。でてきたものを認める。
なんてこった!!!
簡単じゃない。
●一年生だから素直に書けるのか?
●あの時代だったから、こんなことを書いても良いのか?(たとえば「おっぱい」という詩もでてくる。結構でてくる。なかなか今の現場では、あまりそういうものは好ましくないとされる気がする。これは私の勝手な考えですが。)
と問うてみる。
年齢や、時代のせいにしたくなるけど、そんなことない。
周り関係なく、自分を露わに出来る人は素敵だなと思うし、そうありたいと思う。めちゃ難しいけど。
少しずつ。
そして母親としての自分を振り返させられる。こんな風に丁寧に関わってきただろうか。
自分勝手ではなかっただろうか。
いや、あった。
えらいこっちゃやんか😆
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