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2025年1月8日の政治・時事ニュース テレビのワイドショーは中居正広問題を扱うべきか?
普段は扱わない「芸能ネタ」を扱うことにしました。それが中居正広氏がテレビから消えた問題です。ワイドショーはなぜこの問題を扱わないんだ!と思いました。
この問題はかなり重層的な問題です。
第一に「そもそも芸能人のトラブルという楽屋裏の話なのだから楽屋裏で解決すればいいのでは?」という論点が想定されます。
公人といってもたかだか芸能人であって政治家ではない。このため国民の知る権利を掲げて「ワイドショーはこの問題を取り上げるべきだ!」とは書けません。この問題を考えて行くと芸能人スキャンダルを我々が利用してきたことがわかります。道を外れた人を面白おかしく取り上げることで「我々は正しい側にいる」という安心感を得ることができていたわけですね。
しかしながら中居正広さんや和田アキ子さんのような芸能人が時事・政治問題に進出していたのもまた確かなことです。キャスターはジャーナリストであり、したがって公的な責任を果たす必要があるとも言えます。
ところがこの問題には第二の争点があります。それはテレビ局自身が性加害に関わっていた可能性です。テレビ局には公共性があるとされ(公共の電波を使っている地上波は特にその責任を問われます)キー局には特別の地位があります。今回のケースはフジテレビが関わっていたとされています。
安全な場所から正義を振りかざしてきたテレビ局が被告人席に立たされるという事案です。フジテレビがこれを総括できないのであれば、地上波キー局のコミュニティが問題を総括する必要があるでしょう。
しかしここで一つの問題が出てきます。その総括の場としてバラエティや情報報道番組といった場所が適当なのか?という問題です。
では、どこが適当なのか?ということになるのですが、せいぜいクローズアップ現代(NHK)とか報道特集(TBS)しか思い当たりません。テレビが商品を売るために「政治・時事」を面白おかしく利用してきたことで、本当に考えるべき問題を考える場所がなくなりつつあるわけですよね。
今回の問題は防火扉のないデパートに例えることができます。仮にテレビ局が各番組に責任編集制を敷いていれば起きなかった問題かもしれません。各番組にはそれぞれの編集責任者がいて何を取り上げるか・取り上げないかを決める体制です。そもそも中居正広氏は「キャスター」のような役割を果たしていますが、彼が責任を持って素材を選んでいたのか、単にプロデューサなどの操り人形だったのか、そもそも番組全体に明確な責任体制があったのかなども疑問です。
結果的にテレビ局の報道姿勢があやふやなため、こうした問題が起きると「フジテレビに問題がある」となり社長や会長の責任問題となります。防火扉がないために一箇所から火が付けば瞬く間に全館炎上になります。また影響力のあるタレントは限られているため1つのテレビ局の問題では済まされなくなる。
こうして地上波テレビ局の信頼が崩壊すると結果的に真偽不明な情報がSNSで出回ってもそれを否定する事ができる報道主体がなくなります。我々の知る権利はこうして制限されてしまうわけです。
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