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【上野くんとの往復書簡】(番外編)|自分の機嫌を自分で取るなんて言ってた時代が、どうやらありました

上野くん、こんにちは。得津です。

久しぶりのお手紙で、驚かせたかもしれません。ここ2年くらいお顔を見ていませんけど、元気にしていますか。そういえば、この間は結婚記念日じゃなかった?おめでとうございます!

さて、なんで急にこんな文章を書いているかと言いますとですね。二人であれこれ言い合った自己肯定感について、先日ふと思うことがあり、「あ、これは上野くんに聞いてもらう」と思ってこれを書いています。

だから、往復書簡のときみたいにお返事を求めているわけでありません。上野くんに聞いて欲しいんだけど、メッセージにするには長いのでお手紙の形にしました。とはいえ、往復書簡をしていたときのようなガッツリ感ではなく、ふとした時にサクッと読めるくらいの分量と内容になっています。

言いたいことは、ぼくは「自分の機嫌を自分で取る」なんて言ってた時期があったらしい。けど、今はそんなことないという話です。

自分の考えがどんな風に変わったのかについて、上野くんにちょっと聞いてほしいなというのが、このお手紙の主題です。

のっけから前提を崩すようなことを言って申し訳ないのですが、ぼくは自分の機嫌を自分で取る、あるいは自分の機嫌を自分で取ろうなんて言った記憶がないんですよね(笑)。

記憶はないんですけど、事業を手伝ってくれた学生ボランティアのOBさんが「自分の機嫌を自分で取る」的な文章を何度か目にしたことはありました。

ボランティアさんたちには、「関わりの質を高めるためにも、子どもたちの前ではできるだけご機嫌でいる」と教えているので、何かの弾みで「自分の機嫌を自分で取る」的なことを言っていても不思議じゃありません。

でも、はっきり口にした記憶はありません。念の為Facebookで検索しても、そんな感じのことは書いていない。

気になって、ボランティアOBさんに尋ねたら、「生徒たちに話していたのを聞いたことがありますよ」とお返事が来ました。怖いですね。言ったことを忘れているって。

しかし、おかげさまで「自分の機嫌を自分で取る」とぼくが言っていた(らしい)ことは確定しました。これまで、PTAや教育委員会などの講演で「ご機嫌スイッチ」を持とうとも話していたので、きっと言っていたんだと思います。

「ご機嫌スイッチ」について少しだけ説明しますね。

ぼくは仕事柄、子どもの自尊感情の育て方について講演してほしいと言われることが多いです。これまでの実践やボランティアさんたちにもお願いしている関わり方などをお伝えするのですが、最後は「ここまでお話ししたことをやりなくなかったら、やらなくてもいいです」とお伝えしています。

上野くんも分かってくれると思いますが、子育て中のお父さんお母さんにしても、学校の先生にしても、もうめちゃくちゃ大変です。今日も一日無事に終えることができただけで花丸だと思います。

そんな状況の中で、子どものためにプラスアルファの関わりや実践をするには、自分の心に余裕がないとできません。だからこそ、子どもの自尊感情を考える前にまずは自分自身の心を大切にしてほしい。

子どもの成績がいいとか、今日はたまたま学級が落ち着いているとか、そういうコントロールできないものに自分の機嫌を左右されるのではなく、自分のコントロールできる範囲で自分のご機嫌を保つちょっとした工夫を持ってください。「ご機嫌スイッチ」を持ってください。

こんな話で講演を終えることがちょこちょこあります。文脈としては、往復書簡でも触れたストレスコーピングですね。

家族の機嫌や予想外のハプニングなど、自分のコントロールできないものに自分のご機嫌が左右されるのは良くないと今でも思いますが、「自分の機嫌を自分で取る」のはちょっと違うな。もっといえば、危ういなと考えを改めるようになりました。


突然の近況報告になりますが、ぼくには去年の12月ごろから弟子がいます。

この弟子に、自己肯定感や子どもとの関わり方など、ぼくがこれまで培ってきた知識やスキルなどを全て聞いてもらっています。弟子なんてテイのいい言い方をしましたが、自分の脳内の棚卸しを手伝ってくれている、大変ありがたい存在です。

弟子には、それこそロジカルシンキングやコーチングなど、上野くんに教えてもらったことも伝えています。その棚卸しの中で、自己責任論には気をつけてね、という話をしました。

あくまで自論ですが、なんでもかんでも自己責任論で片付けることは危険だとぼくは思っています。ぼくは不登校の子どもたちと関わる仕事をしていますが、例えば不登校も自己責任論で片付けてはいけないなと。

因果関係なんて持ち出すまでもなく、不登校はさまざまな要因が組み合わさって起こった結果です。いじめ、成績不振、突然の転校など、その要因の中には、子ども一人ではコントロールできないこと、力の及ばないこともたくさんあります。

これらの要因に目を向けないまま、学校に「行けない」のではなく「行かない」選択をしたんだ、という自己責任論的な物語に自分の不登校体験を押し込めると、「行かない」選択をした正当性を保つために、復学できる環境がその後訪れても、それを拒んでしまう。ぼくはそう考えています。

「どれだけ学校の先生たちも同級生たちも素晴らしい人だったとしても、行かないと決めたから行かないの。じゃないとあの選択は間違ってたことになるじゃないか。」的な心理。

あんまり上手く説明できなくて申し訳ないのですが、なんとなく伝わりますかね。伝わっててほしいなぁ。


それでですね。「自分の機嫌を自分で取る」も、自分が嫌いな自己責任論的な言い回しだなぁと、弟子と話しながら思ったわけです。

「自分の機嫌を自分で取る」って主張は、ともすれば自分の機嫌を自分で取れなかったから自分が悪い、みたいな方にいってしまえます。

自己肯定感を高められない自分が悪い、だから余計に自己肯定感を持てないという話と同じピットフォールに落ちてしまいます。

少なくとも今の自分は、目の前にワンオペ育児をしている親御さんがいたら、自分の機嫌を自分で取ろうなんて、よう言えません。育児ノイローゼのリスクを高めるだけです。

自分の機嫌を自分のコントロールできることだけでなんとかするだけじゃななく、メンタルやばいなと思ったら遠慮なく誰かにグチったり、シッターさんを頼ったりしていいと思うんですよね。

もっと言えば、自分の体が発するストレス反応にもうちょっと敏感になって、ストレス反応が心身に出たら、遠慮なく自分を最優先でいいじゃない。

それでいいじゃない。なんて思うようになりました。


いかがでしたか。
30代半ばのおじさんが、自分の考えがこれまでと変わったことを説明するだけで、こんな文章になりました(笑)。

どう思います?なんて雑なフリはしません。

「あ、ヒデさんは変わらずのびのびやってるな」と思ってもらったら幸いです(笑)。

こちらはなんやかんや元気にやっています。上野くんの方は、年度が変わったらいろいろ状況も落ち着くのでしょうか。また会ってお話したいね。

ではでは、また!


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