豊橋祇園祭 -手筒花火発祥の地 吉田神社へ-
豊橋祇園祭があると聞き、
豊橋へと向かった。
手筒花火発祥の地とされる豊橋祇園祭。
皆が想像する花火とは違い、花火師が筒状の花火を重心で支えながら手で持ちあげる花火だ。
全国的にもかなり古い花火の歴史があり、戦国時代の徳川家康が三河衆に火薬の製造を任せたことが花火の発展に繋がったともいわれているそう。
都内と変わらず豊橋も暑い日だった。
人だかりが出来てきて、17:00頃には祭りがいよいよ始まるぞという雰囲気に。打ち上げ花火の花火大会よりは人混みはないが、祭りが終わるまでの栄養補給として食べたアイスキャンディが救いだった。
そもそも花火は
子供の誕生祝、結婚祝、家内安全、奉納祈願、社業発展、物故者追善供養等、想いを込めた花火が奉納という形で、打ち上がる。
僕が行った金曜日の豊橋祇園祭は、手筒花火/大筒花火/乱玉花火が見られる。
花火は熱く、観覧の人も多いと、花火大会は危険だというように、緊迫した空気が流れた。
いわゆる開会の始球式みたいなものだろうか。
各町の長のような方たちが、手筒花火を打ち上げる。
どこまでが神前花火かわからず。そういった名称やプログラムの詳しい内容はwebには載っていない。
ただ、花火師たちや、町の人たちの、時代から時代へ受け継がれている何かを感じた。
花火を始めるにはまだまだ明るくないか と思っていたが、明るいこの時間ならではの楽しみを見つけて楽しんでいた。
先ほどの観覧席から少し前進したところで花火が見れるようになった。
外は暗くなり、皆がカメラというカメラを出し、収めようとしている。
町ごとに、手筒、大筒、乱玉が打ち上がる。
少年の部、青年の部とあったが、細かいことは抜きにして、とにかくすごかった。放出された火が舞うような、迫力ある時間だった。
息を呑む瞬間もなく、次々と花火が打ち上がる。
大体の基礎や決まりはあるようだが、一人ひとりの打ち上げ方や、実際の花火にとても個性があった。打ち上がる高さや長さ、火の粉の量、そして煙の量。手作りならではのばらつきがとても人間味を感じた。少年の部と青年の部では、やはりそこの違いが若干感じたが、そんな偉そうなことは言えない。見るからに打ち上げる本人はものすごく熱いだろう。
その時間を無駄にすることなく、初めてみる手筒の所作の美しさを堪能した。
ある町内の手筒/大筒/乱玉、そして、次の町内の手筒/大筒/乱玉と3時間強のかなりストイックな祭りだった。基本は同じだが、どの花火もやはり個性があって実物だった。古くから伝わりその町で大事に受け継がれてきた"祭"という文化。祭は人のエネルギーだと感じた。エネルギーが伝染し、祭から人へと移っていく、自分も感じ受け取ったエネルギーを放っていきたい。
豊橋の夜にいい祭りをみた。