好きなことだけして生きるな

僕は最初の会社に4年半いたんだが、結果的に好きなことしかしてなかった

他の業務は超絶に手を抜くか、他人に任せて、やりたいことだけやっていた

環境が恵まれていた?

若くてエネルギーがあった?

そうかもしれない

僕は、僕が今ここで逃げたらクライアントは全員終わる、と思っていた

僕がこの職場を支えているのだ、と勘違いしていた

しかし、この勘違いは実際すさまじいエネルギーを生み出し、クライアントや家族からの評判はよかった

そして僕は、当時命を削ってやっていたプロジェクトを突然下ろされ、さらにひどい場所に異動となり、辞めた

僕は、「俺がこの職場を支えているから今ここで逃げてはいけない」と自分のことをとても勘違いしていたが、でも、一番充実していた時期もこの4年間と重なる

この勘違いする力は使命感と呼ぶことができるのだろうか

「俺がやらなかったら誰もできない」

当時は本気でそう思っていた

最初の会社を辞めるとき、異動前の部署のみんなが送別会を開いてくれた

僕はやってよかった、ここで働いてよかったと心の底から思った
最初は「こんな職場今すぐやめてやる!」と半年以上思っていたのに

そして、僕はもう自由だ、誰にも責められる必要が無い、人生に対する借金はもう無いと思えた
(おそらく僕はそれまで、仕事をして人の役にたたなければ生きている資格が無いと無意識に思っていたのだと思う)

「許された」と感じた

そして、僕は僕のやりたいように!自由に!生きてみようと思った

ただ、自分の好きなようにやると言うことは、何時でも諦めたり、逃げることができるということでもある

ストッパーや支えがない

僕の代わりは誰でもいる、と思いながら仕事をすると虚無に囚われる

当時は過剰すぎたが、自分がこの職場、あるいはこの顧客にとって「存在したほうがいい」という認識がある程度なければ、仕事なんてできない

それはつまり、世界に対して「俺はいたほうがいい」という気持ちに繋がる

僕は、ベトナムでの内定取り消し、その後の職場でうまく行かなかったことをきっかけに、世界にとって、社会にとって、誰かにとって、俺は必要ないんじゃないか、という認知を強化してしまった

僕は今無職で、好きなようにすごしているが、あまり楽しくない

他者がいない

他者というのは、顧客であり、組織であり、社会であり、世界だ

顧客を満足させるために、組織を変える必要があり、社会を少しでもよくする必要があり、自分の人生も豊かにする必要があった

誰かの幸せのために、そのために自分も幸せになる

健常な人は逆だろう

でも僕にはそれができなかった

でも、それができなくても幸せになることはできた

ならそれでいいじゃないか

自分の欲望だけをモチベーションに生きるのは難しい

「好きなことやろう!嫌なことをやめよう!」
いい言葉だ

でも、これは小学生にも言える言葉だ

どうやったら社会をよくできるか、日本の組織の問題点は何か、俺たちに何ができるのか

意識高い系と馬鹿にされるかい?

とにかく稼いだやつが勝ち!という社会では多様性なんて生まれなくなるんだよ

その価値観自体が単純だしね

俺には何ができるんだろう

誰か教えてくれ(笑)

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