こころの日曜日
本日は12時ごろに起きる
ダラダラと準備をして、職業訓練校の説明会に行く
なかなか興味が湧く内容だった
行く意味あるかな〜と思っていたが、訓練の入学試験で小論文とかあるらしい
行ってなかったら把握できていなかった
虚無にとらわれず行ってよかった
そのあとはカフェでゆっくり読書をする
『こころの日曜日』という、色々な分野で活躍するカウンセラーが書いたコラムがたくさん載っている本を読んでいたんだが、なかなか面白かった
私の心の師匠、増井武士の文章も載っている
増井武士先生との思い出は色々あるんだが、明日にでも書こう
またその後友人と語り合うなどして過ごす
今日も良い日だったと思っている
さて、今日主に考えていたこと
職業訓練について
僕は今、自分の経歴とは全く関係ない、それどころかその勉強を次の仕事に生かすかも全くわからない訓練を受けようとしている
訓練期間は半年ほどある
その勉強が好きになるかも今のところわからない。学んでみたい、という興味があるだけだ
訓練を終える頃には、僕の仕事のブランクはほぼ一年になる
これは恐ろしいことだ
なんの関係もない勉強に、一年もブランクを作るのか?と
訓練校の見学に行きながら考えていた
転職市場から見たら自殺行為である
今転職活動をすれば29歳
職業訓練を終わる頃には30歳だ
恐ろしい恐ろしい
ただ、今回はあまり迷っていない
というか、迷いを相手にしていない
一般常識から見て、間違った選択だったとして、
だからなんだ?
それがどうした?
という心の声に従う
心の声に従わなかった結果、どんな地獄が待っているか体験してしまったから
それによく考えたら、人生の中で、興味がある勉強を集中して半年やることは、そんなにヤバいことなのか?
という話で
僕は余白のある人間になろうと思って、以前の業界を辞めたのであって、そう考えると正道に実は戻ってきている
以前にも書いたが、僕は障害のある人たちに「人生は何歳からでもやり直せる、ちょっとブランクがあってもどうにでもなる、世間体を気にせず心のままに生きろ」というようなことをよく言っていた
そして四年半が過ぎた頃、人に偉そうに言っている自分が一番チャレンジも挫折もしてないんじゃないか?と思い、心のままに飛び出してみた
望み通り色々と叶ったわけだが笑
これから、自分のやってみたい勉強のために、半年のブランクをあけることは、とても怖いことだ
僕はこういうことを、他人に平気で言っていたんだな、と思う
いくら一緒に動くとはいえ、本当に怖いのは本人たちなんだから、本質的にはノーリスクに近い場所からあれやこれや言ってたんだなって(もちろんその時も、その権力構造に無自覚ではなかったのだけど)
もし、これを経て、僕の人生がなんとかなったとしたら、僕は以前よりも確かに「一緒にチャレンジしてみない?面白いかもよ?」と言えるようになるのではないか
「失敗や余白がある人生の方が、味があっていいと僕は思います」と
心から言えるのではないか
自分の行動が、自分の思想と一致してくると、やはり人間は元気になる(今のところは)
僕は少し不器用な人に対し「それがあなたの魅力じゃないですか」「優秀なやつより、ちょっとポンコツな人間の方が愛されますよ」などと偉そうなことを言いながら、僕自身は無難に生きようとしていることに矛盾しか感じていなかった
ようやく僕は僕の余白を持つことを選択できた
もちろん受かるかどうかは知らん
しかし確実に、選択しているということが大事なのだ
人間は「自分の人生を自分で選択したということ」そのものを自覚した時に、少し自信を回復することができるんじゃないだろうか
あるいは僕は自分を許し始めているのかもしれない
もちろん偉そうに言っているが、現状はただの無職なのであって、どうなるかはわからない
しかし振り返ってみれば
海外就職の内定を取り消されたことで
1、人生まじで努力しても理不尽なことが起きるときは起きる
ことを知り
ベンチャー企業で消耗したことで
2、心を殺すと人間は簡単に病むし、自力で回復はほぼ不可能である
ことを学び
その次の海外就職を諦めたことで
3、自分の気持ちを自分で裏切ると、7日7晩生き地獄のような苦しみに苛まれる
ことを学び
そしてここ最近の回復を振り返ると
4、回復する意味すら見出せない虚無&絶望状態からでも、数ヶ月しっかり休養すれば、なんとかやりたいことが復活するくらいには人間は回復力を持っているらしい
ということがわかった
そして僕は、30代で一年くらい社会的に無意味な、なんの利益もないかもしれない好きなことをしていても、人生なんとかなるし、むしろ面白くなる
ということを実証しようとしている
こんな小規模な方法でしか世界に抵抗できないが、自分は自分のスケールでやっていく
本当は、世界を旅したり、カッコよく資金調達して起業したり、ユーチューバーとしてバズったり、本書いてヒットとかまぁー憧れたけど
自分の山を登ることが大事なのでね(というか、それしかできんよな)
しょぼそうな山だが、それなりに登り甲斐はあるでしょう、と
40歳になって山登りにハマるおっさんの気持がわかってしまいそうだ笑
自分の足と装備で、大したことなさそうな、それでいてそれなりに大変そうな山をじわじわと登るしかないのか
あーやだやだ笑
でも、仲間がいると楽しいし
休憩も自由にとっていいらしい
なんなら穴掘りとか動物観察だけして過ごしてもいいっぽい
そもそも山登りに囚われる必要すらない?
つまり
毎日満足して眠れるように
勝手にしやがれ
ってことだね
イリュージョン
ではおやすみ
長々と読んでくれて、ありがとうごさいます
よい夢を
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