天国にちがいない/エリア・スレイマン監督
2021-03-27鑑賞
パレスチナ人監督のエリア・スレイマン(1960年生まれ)の『天国にちがいない』を見る。第72回カンヌ国際映画祭審査員特別賞、国際映画批評家連盟賞の受賞作だ。
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「パレスチナ映画」といえば、例えばハニ・アブ・アサド監督の『オマールの壁』とかタルザン&アラブ・ナサール監督の『ガザの美容室』とかだろうか。スレイマン監督の『天国にちがいない』が他の「パレスチナ映画」と違うのは、監督自身が「映画監督ES」として主演する「コメディ映画」だということに尽きる。
映画監督であるESは、新作映画(この映画『天国にちがいない』自体だと思われる)のプロモーションのため、故郷ナザレからパリ、そしてニューヨークへと旅をする、ただそれだけの話なのだ。ところが詳細な筋書きは公式サイトに書かれているという「ネタバレ」など無縁の「日常」(あるいは「超日常」)がもうただただ可笑しい。いわゆる「パレスチナ問題」ではない、いつも何かがずれている「周縁」が、真剣な笑いで描かれている。そこにいるESは常に無言で、その場に立ち尽くすのである。
パリで会った映画会社のプロデユーサーには「パレスチナ色が弱い」と出資を断られてしまう。よく見るとわかるのだが、彼が座るその後に見え隠れするポスターは、エドワード・サイード(パレスチナ系アメリカ人)のドキュメンタリー映画『OUT OF PLACE』だったりするのだ。広いシネスコ画面の至る所に仕掛けがあり、私たちはそれに気づいたり、また気づかなかったりもする。
ニューヨークではさらに辛辣だ。巨大な待合室で、友人の俳優ガエル・ガルシア・ベルナルとプロデューサーを待っている。ベルナルはプロデユーサーにESのことを紹介するのだが、彼の「コメディ」映画のテーマが「中東の平和」だと聞き「それだけで笑えるわ」と取りつく島もなく、その場にひとり残されてしまう。無論アメリカはユダヤ人社会だ。
先にESは常に無言だと書いたが、一度だけ言葉を話す場面がある。バックミラー越しのタクシーの運転手がチラチラと様子を伺いながら、ESにどこの「国」から来たのかを問いかける。「ナザレから」だという答えに、それは「国」なのか? と言われ、ESは「パレスチナ人だ!」と強く答える。そう。つまりそれがこの映画の全てなのだ。
1948年、ユダヤ人によってイスラエル建国が宣言される。以後アラブ人は「パレスチナ難民」となるか、その地に残り「イスラエル人」となるか。ナザレ生まれのエリア・スレイマン監督はイスラエル国籍のパレスチナ人だ。「パレスチナ自治区」の現状は周知の通りである。
映画の最後にまた、ESは故郷ナザレに戻ってくる。庭に勝手に入りこみ、レモンの巨木から大量のレモン盗んで行った「隣人」が、そのレモンの木に水をやっているではないか。綺麗に剪定された木にはまた、多くの実がなっている。まあ、結局はこの映画はそんな話なのである。いわゆる「パレスチナ問題」を描いていないが、一方で世界の全てが「パレスチナ問題」でもある。非常に美しく、親密で優しい映画。
監督:エリア・スレイマン
出演:エリア・スレイマン | ガエル・ガルシア・ベルナル | タリク・コプティ