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その1 2024年4月6日 土曜日 2017年4月、富岡町では夜ノ森駅の東側に広がる帰還困難区域以外の土地で避難指示が解除された。JR常磐線の運行区間は富岡駅まで延長され、不通区間を走る代行バスの起点も竜田駅から富岡駅へと変更された。自分もこのバスで、何度か浪江・原ノ町駅方面へと足を運んだ。当初のバスには女性のスタッフも同乗しており、「ここから帰還困難区域に入ります」というアナウンスに緊張が走った。 駅前のロータリーを出たタクシーは、代行バスと同じルートを走行した。右手に
その2 2024年4月6日 土曜日 承前 新たに定められた「特定帰還居住区域」で、人の通行が可能なところはまだほんのわずかだ。本当は小さな漁港跡がある小良ケ浜に行きたいのだが、それはまだ無理そうだ。なんにせよ13年間この場所で留め置かれた土地だ。 細道にはバリケード、幹線道路には有人のゲートを設けて人の立ち入りを管理している。帰還前の土地に作業員以外の姿を見ることはないし、巡回パトロールの車両とすれ違うのはいつものことだ。雨が強くなってきた。 国道6号線から東側ほぼ40
その3 2024年4月6日 土曜日 夜ノ森駅前も「桜まつり」に向かう人で賑わっていた。 時計を確認して、大野駅まで歩いてみようと思った。2時間後の14時46分発の上り列車に間に合うだろう。大野駅から夜ノ森駅へは歩いたことはあるが、逆方向の歩行の歩行で、また違った景色が見えてくるかもしれない。雨足がさらに強くなったので折りたたみの傘を開いた。 夜ノ森駅西口を出て北に進み、突き当たりを左折する。この辺りはまだ富岡町内で、2019年に避難指示が解除されている地区だが、夜ノ森地
その4 2024年4月7日 日曜日 朝5時。遠くに見えるのは阿武隈高地だろうか。ホテル7階の部屋からの眺めは、山地からの霧が立ち込める幻想的な風景だ。ホテルの南西方向はスポーツ公園があり、ここからは野球場の施設が見えているのだが、中央に見える大型マンションの存在が、風景の中で際立っている。 思えば今まで浜通りの被災地で見た「家」といえば戸建ての住宅だ。取り壊された家の跡地に、新築の賃貸アパートが連なる風景を見ることはあっても、震災以前に建てられた、いわゆるマンションを見る
その5 2024年4月7日 日曜日 承前 7時40分 木戸駅着。降りたのは自分ひとりだけだ。モニター表示される時刻表だけが駅舎にはある。2013年に初めてこの場所を知り、常磐線の運行が再開されて幾度となくこの土地を訪れてきた。同じ楢葉町でも開発で形を大きく変えた竜田駅前とは異なり、木戸駅周辺の変化は緩やかなものだといえよう。一時は再開した理容室も閉店した。駅前に一軒の商店もないこの地区の有り様は、逆に清々しくさえある。崩れかけた家はもうどこにも存在しないし建て替えが終わった
その6 2024年4月7日 日曜日 承前 10時08分富岡駅着。駅ロータリーのタクシーはすでに出払っており、看板に記されたタクシー会社に電話で配車を依頼する。富岡駅が再開した直後は駅舎の一部に食堂が入っていた。今は町営の観光案内所になっている。「富岡町親善大使」のタスキを掛けた女性が二人、案内所の看板を前に写真撮影をしている。「さくら祭り」に参加するのか仕事を終えて都内に帰るのか。目の前を高いヒールで通り過ぎていった。 20分程でタクシーが到着する。一度ホテルで荷物を引き