夜ノ森駅と
その6 2024年4月7日 日曜日
承前 10時08分富岡駅着。駅ロータリーのタクシーはすでに出払っており、看板に記されたタクシー会社に電話で配車を依頼する。富岡駅が再開した直後は駅舎の一部に食堂が入っていた。今は町営の観光案内所になっている。「富岡町親善大使」のタスキを掛けた女性が二人、案内所の看板を前に写真撮影をしている。「さくら祭り」に参加するのか仕事を終えて都内に帰るのか。目の前を高いヒールで通り過ぎていった。
20分程でタクシーが到着する。一度ホテルで荷物を引き上げ、そのまま夜ノ森駅まで行ってもらうことにした。運転手はいわき市の人で、「桜まつり」の交通規制をしきりに気にしている。だが数年前までは、この辺り全てが帰還困難区域だったのだ。「この道は駅まで行けますよ」と伝えたが運転手はうわの空だ。「桜まつり」の会場付近は、駐車場への入場待ちで長蛇の列となっている。電車の本数が極めて少ない必然的な車社会なのだ。昨日の雨が上がり、街道の桜は少しだけ開いたように見えた。
夜ノ森駅の前でタクシーを降りた。大きなエドヒガン桜は満開だ。駅の待合室で1時間半後の列車の到着を待つ。入れ代わり立ち代わり、吸い寄せられるように人がやって来ては、また去ってゆく。駅は唯一のランドマークなのだ。メールをひとつ書く。
ベンチに座り、目を閉じて彼らの声に耳を傾ける。馴染みある地名を聞いて、しかも随分と遠くそれに驚く。彼女を連れて故郷の桜並木を訪ねてきた人もいた。往時の小さな武勇伝を語る声音は微笑ましい。自分が知らない在りし日の夜ノ森について。いずれにせよ十数年も昔の話である。
人がいなくなった待合室から外に見える景色を撮ってみる。そもそも「写真に」写るものなど表面の僅かな機微でしかない。それは記憶ですらない。ファインダーをのぞく自分には何が見えて、また何が見えていないのか。
乗車時刻が近づき「ゲームセンター理想郷」の看板に別れを告げる。また次の機会にもこの黄色い看板が残っているのか知る由もない。だが「復興」とは消失の過程でもあるのだ。自分もいつの日かこの話を誰かにするだろうか。12時32分夜ノ森駅発上り列車に乗車。《了》