片言隻句 06 ~素直に内観~
論語に学ぶ、現代の処世術
「子の曰わく、徳の修めざる、学の講ぜざる、義を聞きて徒(うつ)る能わざる、不善の改むる能わざる、是れ吾が憂いなり。」
→現代語訳
先生がいわれた、道徳を修めないこと、学問を習わないこと、正義を聞きながらついてゆけないこと、善くないのに改められないこと、そんなになるのが私の心配ごとである。
時代背景
古今東西、数多の書物を読み込み自分の身に生かしてきた孔子が、まだまだ学ばないといけない、実践できなければならないといったこと。それは、目指すべき、立派な姿として学ぶことが多くあるように感じます。その幽玄な背中はいったいどのような時代背景で培われたのか、少し調べてみました。
以下~儒学思想が生まれた時代背景~より引用<リンク>
●春秋時代~戦国時代の中国
紀元前770年に周王朝が周辺諸侯によって侵略され、後に東遷して以降その権力は急速に衰弱していった。封建制の力が弱まったことで、周辺の諸侯たちは次第に自立化の傾向を強め、互いに争う乱世となっていった。以後、秦によって中国が統一されるまでの約550年に及ぶ戦乱の時代が続くことになる。
●春秋時代の諸侯
春秋時代にはまだ周王室の権威が残されており、有力諸侯たちは周王室の権威を利用しつつ、自らの勢力拡大に努めた。有力諸侯たちは「尊王攘夷」を唱えて諸侯に同盟(会盟)を呼びかけ、同盟の盟主となることで勢力をふるおうとした。ちなみに春秋時代初期には250前後の諸侯(都市国家)があったとされている。
●儒教思想の登場
この時代、魯に生まれた孔子(BC552~479)は、中心的な権威や道徳的な規範を見失った乱世の春秋時代に、仁義や礼楽による政治秩序を取り戻すことを理想とした。理想政治の復古を目指して諸国を行脚したもののそのまま受け入れられることはなかったが、当時の諸国の指導者たちにとって、統一原理(思想)を求める気運は高まっていた。これが孔子の儒家思想を初めとする諸子百家という空前の思想・文化の黄金時代をもたらす素地となったと考えられる。
孔子の学に対する向きあい方
つまり、彼らが儒学を重要視していた背景には、政治的混乱という問題がありました。そして、その政治的問題が民の道徳指針にまで及び、国が、また、国で暮らす人々も混乱してしまった状況にあったのです。そこで孔子は確信に満ちた大義をもって自らの思想に準じた理想政治の復古に立ち上がった。この経世済民という大きな大義が孔子を動かし、孔子を生かしていたのです。そして、自分の思想を何度も反復し、信頼した分、自分が精通し熟知した事柄こそ最も難しい道と悟っていたのだと思います。だからこそ、学を学べなくなったり義を行えなくなったりしていては、自分の悲願を達成することはできないまた、誠を貫くことができないと憂いていたのではないかと思います。
僕たちは何を学ぶ
このような立派な思想を自分たちの過ごす現代に生かさなければならない。時代背景は確かに、雲泥とつくほど差があるが、政治的問題による民衆の混乱という意味合いでは、孔子の生きた時代も今も差ほど変わらないだろう。日本の経済情勢は、消費税増税による、デフレの促進や、40%が高齢者という高齢化の問題、はたまた、環境問題などなど数多くの問題を有している。時間は待ってくれないのである。いずれ、日本が栄光を失うということは現実、明白な事実である。だとするならば、孔子の行ったように、理想を掲げ日本がどこに進むかということを明白にしなければならない。そのようにするか。それは、今蔓延している思想を一度細分化し、統合していくことだ。各自が何を求め、何を必要としているか、また何を切り落とすのかを明瞭に区分しなければならない。しかし、この作業は要素が多すぎて、とても一人では不可である。そのため各分野の専門家たちが密な連携を取り合って、情報を交換していかなければならないのだが、ヒューマニズムという化物が邪魔をするのである。それを乗り越えるためにも、前記の論語の言葉を現代に広めなければならないと思っています。
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