「俺 人間が嫌いだわ」ってことにハッキリ気が付いた
俺 人間が嫌いだわ
昨晩 そんな自分の心のうちに気が付いた
否定 批判 拒絶 無視
日常生活において
俺は何に対して
これらをしているのだろうか?
受け入れがたいのは何なのだろう?
そんなことを頭の中から取り出し
ノートに列挙していった
そして 眺めてみる
するとあることに気が付いた
約60ほど列挙した『受け入れがたいリスト』
その8割は 人間によるものだった
お金 世界 社会 自分の外見
そうしたものもリストにあるが
それぞれが片手で数えられるほどしかない
俺が受け入れがたいのは
人間についてがほとんどだった
例えば
実践せずに偉そうにしている人
マナーを守らない人
社会のルールを平然と破る人
自分の考えを押し付ける人
恩着せがましい人
横柄な人
食べ方が汚い人
何度も同じミスを繰り返す人
陰で悪口を言う人
『死ぬ』という言葉を平気で使う人
人によって態度を変える人
出したものを片付けない人
実力がないのに口だけ達者な人
立場を利用してハラスメントする人
人の努力を笑う人
無責任な人
人の話を聞かない人
などなど
俺はこうした人たちを受け入れることができていない
そして気が付いた
あっ 俺 人間が嫌いなんだな
実は俺
嫌いな人はいないと思ってた
苦手な人はいる
敬遠したい人はいる
だけど
嫌いかというとそういうわけでもない
好きでもないけど嫌いでもない
だから
嫌いな人はいないと思ってた
だけど今回 わかった
特定の誰かが嫌いなのではなく
人間が嫌いなんだ
なんかすごく納得した
すごくスッキリした
人間が嫌いだから
人間を否定 批判 拒絶 無視したくなるんだな
自分のことを好きになれないのも
好きになるために条件を付けてしまうのも
人間が嫌いだから
なるほどなるほど
ん?
でも待って
じゃぁなんで
俺は新文明を出現させようとしているのだろう?
全ての人が本当にやりたいことをやれる世界
そんな新世界を創ろうとしているのだろう?
自分だけでなく世界中の人が幸せに暮らせる社会を
どうしたら現実化できるか研究しているのだろう?
本当に人間が嫌いなのであれば
人間から搾取して
自分だけが幸せに暮らしたらいい
でもそうではなく
地球をアップデートさせて
みんなで幸せに生きる道を選んでいるのは
どうしてなんだろう?
そんな疑問が矢継ぎ早に湧いてきた
確かに俺は人間が嫌い
でもその奥には
何かがありそうだ
なので
内に潜って探ってみた
そして分かった
本当は俺は知っているんだ
人間が愛の生き物だってことに
人間の持つ愛の深さを
あらゆる存在に対しての人間の愛の深さを
俺の深い部分では知っているんだ
だけど表面的には
人間なんて本当にどうしようもない生き物
に見えてしまう
でもそれは
愛の表現が未熟だから
自分の愛を表現することが未熟だから
俺も
俺の周りの人も
世界中のほとんどの人が
深い愛を持ちながら
それを十分に表現することができない
深い部分で俺はそれを知っていて
「あ~もう 何やってんの!」
って感じで
もどかしくてたまらない
それが積りに積もって
拗ねて
嫌うことを選択するようになった
俺もまた愛の表現が未熟なんだ
俺が人間を嫌いなのは
心の奥底では人間の深い愛を知っているから
それがわかった
俺も含めてすべての人が
深い愛を持っている
だけど悲しいかな
十分に愛を表現できるほどのレベルには
達していない
その未熟さを受け入れないのも
俺の未熟さ
それが人間嫌いになっていった
嫌いというのは
嫌うという行為に過ぎなくて
単に選択でしかない
俺はこれまで
自分の中にある愛という膨大なエネルギーを
嫌う
否定する
批判する
拒絶する
無視する
という行為に使っていた
それを選択していた
人間の深い愛を知った今
俺はこの選択をやめる
愛の表現方法を変える
人間の愛の表現は
まだまだ未熟だ
これまではそれを否定していた
でもこれからは
その未熟さを受け入れ
そっと見守ることにする
親が子供の成長を見守るように
人間の成長を見守ることにしよう
俺もまだまだ未熟
それも受け入れ
自分の成長も見守るようにしよう
人間が好きとか嫌いとか
それはどうでもいい
自分の持っている愛を十分に表現する
その選択をすることにした
人間も
世界も
こんなもんじゃない
地球は愛に溢れた星になる
そんな予感がした