見出し画像

note連続更新ができない三日坊主が「だ・である」にしたら、最長更新記録だわ

10月は平日まいにち、note を更新できている。すごい。

「10月は note がんばるぞ!…今度こそ」と意気込んで始めた。今度こそと言っているのはご察しの通りで毎回やるやる詐欺を繰り返しているのだ。何度も何度も。ただ、なぜだか今回は続いているのだ。そのナゾを解き明かそうと思う。

・・・

10月1日に更新始めたときにはそんなに意気込んではなかった。

アレコレ悩むのをやめたい。思いついたもの、着手したいものから順に手を付けていくことにする。そして思いついたのが note を書くこと。書いてみたという流れだ。

私個人の感想だが、この滑り出しだと note やブログの更新は早晩に止まるはずだ。多くの場合は三日坊主どころか、この日で終わる勢いである。過去、鼻息荒く始めたものの、1日で撃沈した記憶はいくつかある。私はそういう人間だ。

・・・

ゆるふわで始まったのにもかかわらず、今回は続いている。休日を除けば、平日の9日間連続更新なのである、もちろん個人記録更新中。

思うにその転機は10月3日。3日目の記事だ。

この記事はこれまでの私の note やブログとは大きく異なる。ちょっとした違いだが、大きな違いがある。そして、この記事以降もこの流れを踏襲している。この違いによって、更新の難度がものすごく下がった。

その違いは「です・ます調」から「だ・である調」への転換。

これまで私は note やブログは原則、「です・ます調」で書いてきた。文章の丁寧さ、謙虚さに重きをおいていた。そのことが自然と「です・ます調」を誘発していたし、考え方にフィットしていた。

ところが(私個人の感覚として)「です・ます調」にはデメリットがあり、書いているときのリズムがものすごく遅い。読み手を意識してしまう。単なる言い回しの問題だけでなく、説明を加えてみたり、推敲したりすることが多くなる。

私は note を書くスタイルとして、人に読まれること・評価されることに重きをおいていない。それは「です・ます調」だった過去においても同様だ。読まれることよりも、書き終えたことや書き出したことへの自己満足感を求めている。「書いてやったったわ〜」を求めてる。

一方で、謙虚になるべく「です・ます調」を採用している。ただそれだと書いていてリズムを得られないのだ。自己満足だといいつつ、読まれることを意識してしまうのだ。この差は大きい。ここ数日更新を続けている、続けられているからこそ、その確信が持てる。

「だ・である調」で書き出しているときは、自分だけを見ている。アタマの中を書き出しているという感覚はかなり強い。そして、リズムがある。

無意識だったが、10月3日の記事で大きな転換をした。小さな変化だったが、大きな変革の始まりだった。そして今日も「だ・である調」。

・・・

おそらくこれからもこのスタイルになるだろう。随筆的な記事ではなく、読まれることを強く想定するような記事を書くときは「です・ます調」になるかもしれない。謙虚さが優先されるので。

今の感覚的には「だ・である」で書き出してから、「です・ます」に変換していくステップを踏みそうな気がする。圧倒的にスピードとリズムが違いすぎるので、あとから文体変換する手間が苦にならないはず。そういう機会があれば、書いたあとにぜひふりかえってみたい。

ということで、2週目(の平日)を無事に連続更新することで終えることができそうだ。

この記事が参加している募集

いただいたサポートは、さらにnoteを書くための書籍代に使わせていただきます!