
リンク集: 『プロセスモデル』 (Gendlin, 1997/2018) のルーツとしてのジョージ・ハーバート・ミードの哲学
『プロセスモデル』 (Gendlin, 1997/2018, ジェンドリン, 2023) では、ジェンドリンの先行するさまざまな哲学者たちが、直接的にもしくは間接的に言及されています。このnote記事では、ジョージ・ハーバート・ミード (1863–1931) の哲学を取り上げます。
ミードがシカゴ大学の教授だったときの学生の一人に、チャールズ・モリス (1903–1979) という人がいました。モリスは、ミードの晩年の講義を編集し、『精神・自我・社会』 (Mead, 1934; ミード, 2018b; 2021) として出版しました。その後、彼は同大学の教授となり、ジェンドリンの哲学博士課程の指導教員となりました (*1) 。つまり、ジェンドリンはミードの孫弟子にあたるわけです。
なお、キャンベル・パートンやドナータ・シェラーが、ジェンドリンへのミードの影響について既に研究しています (Purton, 2007, September; Schoeller & Dunaetz, 2018) 。
ミードは、デューイと同様に「有機体と環境の相互作用」に関心を寄せていました。加えて、彼の時間論 (Mead, 1932) が『プロセスモデル』の「第IV章 身体と時間」に影響を与え、また、彼のシンボル論(Mead, 1934)が『プロセスモデル』の「第VII章 文化、シンボル、言語」に影響を与えていると私は考えています。
note記事へのリンク集
以下に、これまでのnote記事それぞれに対応する『プロセスモデル』の章へのリンクを記載します。
「II 機能的循環(Fucy)」
『プロセスモデル』の第II章と第I章における「インプライング」の用法史: ミードとデューイを参照しながら
概要: 『プロセスモデル』においては、基本となる用語「インプライング」が頻繁に使われています。この用語は、彼の以前の公刊論文 (Gendlin, 1973a; 1973b) で初めて使われました。現段階での私の見解では、「インプライング」のさまざまな用法は、以下の歴史的な流れに沿って発展してきたと考えています。まず、1970年代初頭にジェンドリンは『プロセスモデル』第II章に相当する「時間をもたらす、または生成する」インプライングの用法を使い始めました。次に、1980年代後半に彼は『プロセスモデル』第I章に相当する、「水平方向的な」インプライングの用法を使い始めました。最後に、インプライングの他の用法は『プロセスモデル』執筆とともに定式化されました。
「IV‐A 機械ではない身体についての異なる概念」
「ユニットモデル」や「内容モデル (パラダイム) 」に対するジェンドリンの立場: G・H・ミードの時間論から見た遡及的時間
概要: 生命プロセスは事前に予測することができないというジェンドリンの発想はもうひとつの重要な発想につながります。それは、現在の視点から過去は「事後的に」見直されるという発想です。しかし、私たちは、後から発見されるはずの要素が、以前からそのままのかたちで存在していたかのような錯覚に陥りがちです。この錯覚を表したのが、彼の用語である 「単位モデル (ユニットモデル) 」や 「内容パラダイム (内容モデル) 」です。
「V‐A 介在する事象」
ジェンドリンの 「環境#0 」のプラグマティズム的起源: デューイとミードを参照しながら
概要: ジェンドリンの『プロセスモデル』において、「環境#0」は「環境#2」や「環境#3」に比べると言及される頻度が低いです。とはいえ、「環境#0」は、「ほとんど言及されないからといって、構造的に重要でないとは限らない」 (Jaaniste, 2021, April) という指摘もあります。ジェンドリンが環境#0を意図的に想定した背景はいろいろ考えられます。私見では、環境#0の先取りの一つは、デューイの後期著作『論理学:探究の理論』 (Dewey, 1938) に登場する「自然界」の概念に見出すことができます。最後に、環境#0という発想や用語法には、ジョン・デューイよりもジョージ・H・ミードに近いと思われる点もあることを指摘しておきたいと思います。
「VI‐B 行動空間の発展」 & 「III 対象」
「対象」概念の予備的検討: ジョージ・H・ミードから1980年代のジェンドリンまで
概要: 1980年代前半、ジェンドリンは、生命プロセスにとっての「対象」とは何かという予備的な検討を始めました。「予備的」というのは、当時、ジェンドリンは、ジョージ・ハーバート・ミードに倣って、知覚と行動を獲得した動物にとっての対象のみを検討していたということです。つまり、『プロセスモデル』 (Gendlin, 1997/2018) の第III章にある、単細胞生物や植物にも当てはまる「対象」の考察には、まだ到達していなかったということです。
「VII‐A シンボリックプロセス」 & 「VII‐B 原言語」
動物たちは「表現」し合わない (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 1)
概要: 『プロセスモデル』の「VII‐A シンボリックプロセス」には、「(e)表現」という皮肉めいたタイトルの節があります。この節で最終的に論じられているのは、動物たちが内的な何かを表現し合っているように見えるとき、私たち人間の観察者が単に自分自身を投影しているだけであって、動物たちは実際には内的な何かを表現し合っているわけではない、ということなのです。
“動物のジェスチャー”から始まる3段階の「順序」 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 2)
概要: 『プロセスモデル』の「VII‐B 原言語」の「(c)順序 (The order) 」の節において、ジェンドリンは、 “動物のジェスチャー” から「原言語」と呼ばれる原始的な言語に至る途上の3段階の順序を簡潔に論じています。また、『プロセスモデル』では、第2段階について議論する際にミードを参照していますが、私がミードの著作を実際に読んでみた限りでは、第2段階についてはあまり詳しく論じられていないようです。むしろ、ミードの著作では、ジェンドリンの「順序」で言えば、第1段階と第3段階との対比が第2段階をスキップしてより中心的に論じられているように思われます。
相手の動物がいてこその“ジェスチャー” (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 3)
概要: ジェンドリンとミードの両者にとって、「身体の見えや音や動き」といった “動物のジェスチャー” は、それに相手の動物が反応して初めて可能になるジェスチャーなのです。他の動物がいないときに同じように手足を動かしても、のちに人間の言語へと進化するという意味での “動物のジェスチャー” とは呼べないのです。
闘いが生起しない「切り詰められた行為」 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 4)
概要: ジェンドリンが「脅威のジェスチャー」を例に挙げて「闘いは焦点的にインプライされるが、闘いは生起していない」と言うのは、ミードが言うところの「切り詰められた行為」に相当すると思われます。この 「闘いは生起していない 」ということが、「休止 (pause) 」という概念につながると考えられます。「休止」がどのように「~について (アバウトネス) 」という能力と関係しているかをミードだけでなく、ランガーとも関連付けて論じました。
どうやって自分の身体の見え方を知るのか (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 5)
概要: 『プロセス・モデル』の「VII‐A シンボリックプロセス」の「(c)表象(リプリゼンテーション)」の節で、ジェンドリンは「共感」を論じる文脈において、「自分の身体がどのように見えるかを知ることができるのか」という難問を論じ、G・H・ミードが従来の順序を逆転させたと主張しています。
ジェスチャーによるコミュニケーションから創発する自己意識 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 6)
概要: 『プロセス・モデル』の「VII‐A シンボリックプロセス」の中でも、「(a)身体の見え」の節の “動物のジェスチャー ” と、「(f)新たな種類の推進」の節の本当の意味でのジェスチャーとでは違いがあります。(f)の節では、初めて「自己意識」が論じられています。しかし、このような論述は唐突であり、この節を読んだだけでは、ジェスチャーの論述と自己意識の論述をすぐに結びつけることは難しいかもしれません。ジェンドリンが参照したと思われるミードの論述に立ち戻ってみると、ジェスチャーの進化と自己意識の創発が関連していることが理解しやすいように思います。
注
*1) モリスの哲学が『体験過程と意味の創造』 (Gendlin, 1962/1997) に与えた影響については、下記のnote記事をご覧ください。
文献
Gendlin, E. T. (1997/2018). A process model. Northwestern University Press. ユージン・T・ジェンドリン [著]; 村里忠之・末武康弘・得丸智子 [訳] (2023). プロセスモデル : 暗在性の哲学 みすず書房.
Mead, G.H. (1932). The philosophy of the present (edited by A.E. Murphy). Open Court. ジョージ・ハーバート・ミード [著]; 植木豊 [訳] (2018a). 現在というものの哲学 G・H・ミード著作集成:プラグマティズム・社会・歴史 (pp. 606–97). 作品社.
Mead, G. H. (1934). Mind, self, and society: from the standpoint of a social behaviorist. (edited by C.W. Morris). University of Chicago Press. ジョージ・ハーバート・ミード [著]; 植木豊 [訳] (2018b). 精神・自我・社会. G・H・ミード著作集成:プラグマティズム・社会・歴史 (pp. 199–602). 作品社. ジョージ・ハーバート・ミード [著]; 山本雄二 [訳] (2021). 精神・自我・社会. みすず書房.
Purton, C. (2007, September). How self-awareness arises from sentience: Mead and Gendlin, Paper presented at the 11th Annual Conference of the Consciousness and Experiential Psychology Section of the British Psychological Society.
Schoeller, D. & Dunaetz, N. (2018). Thinking emergence as interaffecting: approaching and contextualizing Eugene Gendlin’s Process Model. Continental Philosophy Review, 51, 123–140.