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ダイバーシティの時代は構造主義より始まっている

受験日まであと12日。

ソシュールの言語学が構造主義に与えたことについて、書き始めて今日で5日目になる。言語学や構造主義の個別の情報はたくさんあるが、両者の関連性について着目した参考になる情報が見当たらない(そもそも興味の対象になりにくい?)ので、書くのに苦労している。それでも受験勉強と並行して、自分なりのまとめを最後まで仕上げようと思っている。

ところで、今はダイバーシティの時代だと言われている。ダイバーシティを認めるという考え方は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて提唱された文化相対主義(culutural relativism)に端を発している。文化相対主義は社会人類学者でもあるフランスの哲学者のレヴィ=ストロースによるもので、何を隠そうレヴィ=ストロースが構造主義の生みの親とも言われている。

19世紀は西欧列強による植民地支配の時代で、西欧では自文化中心主義(ethnocentrism)が常識的な価値観として根付いていた。自文化中心主義により植民地の土着文化を蔑視、破壊したし、アジア諸国の文化も下に見て植民地化も進めた。この時代では、権威主義や封建主義の影響力が強く、そもそも多様性を認めるという風潮は世の中になかった。

自文化中心主義を支えているのが理性と真理であり、もっと言えば神のもとの理性と真理だった。この価値観は植民地支配を強力に後押しするものだったが、その価値観に疑問を呈するようになったのはニーチェあたりからで、それを根底から崩してしまったのが、レヴィ=ストロースやミシェル・フーコーらによる構造主義だったのだ。

構造主義以前の価値観は、中心となる普遍性を主体としてすべての物事を観察して考えることがベースにある。それに対して構造主義の観察法と思考方法は、主体となる中心をとりあえず横において、物事を横並びにして、その違い(差異)を観察して考えてみようという差異を大切にする価値観なのである。

今はダイバーシティの時代だと言われているが、構造主義という価値観が生まれていなかったら、自文化中心主義に対する反省がなされないまま、多様性を認める世界も、SDGsのような取り組みもなかったかもしれない。

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日出丸
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