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【書籍】変化する職場での部下育成:健康・心理・環境モデルによる効果的マネジメントー山田真由子氏

 山田真由子著『部下を知らない上司のための育成の極意』(労働新聞社、2024年)を拝読しました。

 本書は、急速に変化し多様化する現代の職場環境において、上司がどのようにして部下の育成を効果的に行うべきかについて具体的な手法や視点を提供するガイドブックです。

 特に「健康・心理・環境モデル」を提案し、上司が部下の個々の特性や背景を理解するために必要な視点を深め、従来の画一的な管理手法から脱却することで、部下との信頼関係を築き、適切な指導を行うことの重要性を強調しています。このモデルの導入を通じて、上司は部下の多様な背景や状況をより深く理解し、それぞれの部下に応じた柔軟な対応を図ることで、効率的かつ効果的なマネジメントが実現できるとされています。以下、その主要な内容を取り上げ、人事の面からの考察をしてみます。

急速に変化する職場環境とマネジメントの新しい役割

 職場の環境は従来の一様なものから大きく変わり、多様化しています。異なる文化や価値観、経験を持つ人々が集まって働く場となり、日常業務の中での視点や考え方の違いが顕著になると共に、従来のマネジメント方法では対処しきれない新たな課題が次々と生じています。本書では、そうした多様性を活かしつつ、新たな課題に対応できる柔軟なマネジメント方法が必要であると述べられています。

 例えば、ある企業で「会議中に寝てしまう部下」が問題視されたが、実際にはその社員が睡眠時無呼吸症候群という病気を抱えていた事例が紹介されています。この上司は部下の健康状態を知らず、「問題社員」として捉えてしまいましたが、適切な治療を受けることでその問題は解決できたのです。

 上司が部下の健康や心理状態を誤解したまま問題を処理しようとすると、部下自身も不幸になるばかりか、職場の雰囲気やモチベーションにも悪影響が出てしまいます。こうした事態を防ぐためには、上司が部下の健康や個別の状況に関する情報を正確に把握し、それに基づいて指導や支援を行うことが重要です。

部下の非生産的な行動とその背後にある要因

 職場において、意図的に仕事を遅く進める、上司の指示を無視する、無断での休憩、ネットサーフィンなどの非生産的な行動が問題視されています。非生産的行動とは、組織やチームに悪影響を与える行動であり、職場でのモチベーションや雰囲気に悪影響を及ぼします。

 例えば、ある製造現場では、Bさんが効率的に働き、残業せずに同じ成果を出しているのに対し、Cさんは残業を多くすることで同じ給与を得ていました。このような状況が続くと、Bさんは「効率的に働いても給与が上がらない」と感じ、モチベーションが低下し、同じようにゆっくり働くようになってしまいます。これを防ぐためには、マネジャーが部下の働き方や心理的な背景を理解し、適切な評価基準を設けることが必要です。

心理的安全性の重要性とその構築方法

 本書では、現代の職場環境におけるマネジメントの土台として「心理的安全性」が強調されています。心理的安全性とは、ハーバードビジネススクールのエイミー・C・エドモンドソン教授が提唱した概念で、チームメンバーが気兼ねなく意見を述べ、自分らしく働ける文化を指します。心理的安全性が確保された職場では、従業員が率直に意見を共有できるため、チームの生産性向上や課題解決に寄与します。Googleが実施した「プロジェクトアリストテレス」では、心理的安全性、相互信頼、役割の明確さ、仕事の意義、そしてインパクトの5つが生産性向上に重要であるとされており、心理的安全性がその中心にあるとされています。心理的安全性の欠如した職場では、上司や同僚からの批判や嫌がらせを恐れ、従業員が意見を言えない状況が生まれやすく、結果として生産性が低下する恐れがあります。

健康・心理・環境モデルの紹介

 「健康・心理・環境モデル」は、本書の中心的な理論であり、部下の健康状態や心理的状況、そして職場環境が部下の生産性や行動に影響を与えるという考えに基づいています。元となったのは精神科医ジョージ・エンゲルが提唱した「生物・心理・社会モデル」で、人間の行動や症状が単一の原因ではなく複数の要因が絡み合って生じるものであるとしています。本書ではこのモデルを応用し、部下に対する理解を深めるためのフレームワークとして提案されています。
 例えば、健康モデルでは部下の健康状態や体調の変化を理解することが強調されており、心理モデルでは上司自身のアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)を認識し、部下の性格や心理状態を理解することが重要視されています。また、環境モデルでは、職場のルールや職場環境を整えることで部下の働きやすさを支援することが求められています。このモデルを活用することで、部下一人ひとりの状況や背景に応じた育成や指導が可能になり、より効果的なマネジメントが実現できるとしています。

多様な部下に合わせた個別のマネジメントの重要性

 多様化が進む現代の職場では、異なる価値観や背景を持つ部下が共に働いています。このため、従来のような画一的なマネジメント手法では、部下のモチベーションを引き出すことが難しくなっています。例えば、育児休業や介護休業を取得している従業員や、外国人従業員、発達障害を抱える従業員など、多様な背景を持つ部下に対して、一律のルールや方針を押し付けるのではなく、それぞれの状況やニーズに応じた柔軟な対応が求められています。これにより、上司が部下の状況やニーズを理解し、必要なサポートを提供することで、部下は安心して働き、成長することができるとされています。また、多様な背景を持つ部下が共に働くことで、チーム全体の視野が広がり、組織としての競争力が向上するとも考えられています。

 本書を通じ、上司が部下を単なる部下としてではなく、個別の人格と状況を持つ一人の人間として理解し、それに応じた育成方法を実践することの重要性が繰り返し強調されています。この「健康・心理・環境モデル」を用いることで、上司は部下との信頼関係を深め、適切なタイミングで必要なサポートやフィードバックを行うことができ、職場全体の生産性向上に寄与できるとしています。本書は、上司と部下が共に成長し、より良い職場環境を構築するための実践的なアプローチを提供する内容となっています。

人事の視点から考えること

 上司が部下の多様な背景や状況を理解し、それに応じたマネジメント手法を浸透させることが重要です。以下に、本書から特に重要と考えられるポイントを述べます。

1. 健康・心理・環境モデルの理解を深める

 まず「健康・心理・環境モデル」を正しく理解し、組織内でその重要性を啓発することが求められます。人事部門は、従業員が健康面で支障をきたさないよう、定期的な健康診断やメンタルヘルスのケア体制を整えていますが、このモデルを導入することで「個々の従業員の状況に合わせた支援」がさらにしやすくなります。たとえば、ストレスチェックや社員アンケートを実施することで、心理面や環境面の状況を把握し、問題があれば早期に対応するよう心がけるといった、組織全体での体制作りも重要です。

 また、健康面での支援だけでなく、心理的安全性が高い職場環境の構築が企業の生産性向上に寄与するため、その重要性を人事が主体となって推進するべきです。例えば、「心理的安全性」に関するワークショップや研修を行い、上司が部下に対して適切な配慮ができるよう支援することが考えられます。このように健康・心理・環境の各側面に注目し、モデルに基づいた柔軟な対応策を設けることで、従業員一人ひとりが力を発揮できる環境を提供することができます。

2. 管理職に対する教育の充実

 本書においては、上司が部下の個別の状況を理解し、それぞれに適した育成や支援を行うことが強調されています。しかし、現実には、多くの管理職が日々の業務に忙殺され、部下一人ひとりに向き合う時間が十分に取れていないケースが多々見受けられます。そのため、人事としては管理職をサポートし、部下育成に注力できる環境づくりが必要です。

 具体的には、管理職が部下の多様な背景やニーズを理解するための研修を導入し、フェーズごとの育成手法や心理的安全性の確保方法を指導することが重要です。部下との信頼関係を築くためのコミュニケーションスキル、健康や心理状態の変化に気づくためのポイントなど、管理職が「気づき」を得られるような教育プログラムが有効です。また、OJTやフィードバックの手法を学ぶ機会を提供し、上司が部下を理解し、育成するスキルを高められるようにすることも必要です。

3. 心理的安全性の文化を醸成する

 「心理的安全性」が生産性向上やチームワークの質を高めるための基盤であることが本書でも述べられています。心理的安全性が確保された職場では、従業員が自らの意見を自由に述べることができ、また失敗を恐れずに挑戦する姿勢が養われます。人事として、この文化を組織に根付かせることが、人材の成長と組織の活性化に不可欠だといえます。

 例えば、定期的な1on1ミーティングを導入し、上司と部下が気軽に話し合える場を設けることや、従業員同士のフィードバックを取り入れることが効果的です。また、心理的安全性の確保に関する具体的なスキル(傾聴やフィードバック方法など)を社員教育プログラムに取り入れ、管理職だけでなく従業員全員が安心して働ける職場環境を目指すことが求められます。

4. 多様性(ダイバーシティ)の推進とインクルージョンの浸透

 本書で言及されている「ダイバーシティ」「インクルージョン」「ビロンギング」の3つの概念も、企業文化を向上させるために不可欠な視点です。人事としては、性別や年齢、国籍、ライフスタイルの違いに応じた支援制度や環境整備を行い、多様な価値観が尊重される職場を目指す必要があります。

 たとえば、育児・介護休業や短時間勤務制度の整備、テレワークの導入など、さまざまな生活背景に対応した働き方の選択肢を用意することが挙げられます。また、外国籍の従業員や障がいを持つ従業員が円滑に仕事を進められるよう、言語サポートやバリアフリー化など、細かな支援も欠かせません。このようにして、従業員一人ひとりが自分の居場所を感じ、安心して働ける環境を整えることが、人事の役割として重要です。

5. 定期的な評価制度とサポート体制の整備

 本書での「健康・心理・環境モデル」の活用を企業全体で浸透させるためには、管理職だけでなく従業員自身も自らの状況に気づき、自己管理ができるようサポートする仕組みが必要です。人事部門は、定期的な評価制度を整え、フィードバックを通して従業員が自身の成長や課題を認識できるよう支援します。たとえば、健康診断やメンタルヘルスチェックを定期的に実施し、その結果を踏まえたフォローアップ体制を整えることで、従業員が自身の健康管理やキャリア形成に意識を向けるきっかけを提供します。

 また、必要に応じて産業医やカウンセラーといった専門家のサポートを受けられる体制も重要です。こうした支援体制を整えることで、従業員は安心して職務に集中することができるとともに、自己成長にも繋がりやすくなります。

上司と部下がリラックスした雰囲気で話し合っている場面です。明るく整ったオフィスの中で、上司が部下の意見に耳を傾け、心理的安全性と信頼関係が大切にされている職場環境を表現しています。背後では多様な社員がそれぞれの仕事に取り組んでおり、支え合いのある職場の一体感も感じられます。


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