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漂泊幾花 【ふじ色の旅立ちその 8~復讐の理由】

「伊集院江理子とは、こんないきさつがあったんだ」

浦上は語り始めた。

「終戦の玉音放送は作業中に聞いた。かたわらに彼女がいた。」
「マリア像に同情していた人ですね。」
「彼女は女子挺身隊として長崎のドックにいたという事だが、実は彼女も被爆していたんだ。生きていたのが不思議なくらいだったそうだ。」
「先生は、その伊集院さんに惹かれた・・・って理解してもいいんですか?」
「その通りだよ耕作君。」
「でもそれくらいで・・・そうなるんですか?名前もわからなかったんじゃないですか。」

「じゃ、君が咲に惹かれた時はどうだった?」
「あ・・・。」

僕は鋭い点を突かれたと思った。確かに、男と女は理屈じゃないのだ。

「江理子とは最初の出会いの時に、この次にはここで会えると思っていたんだ。・・・・そして、終戦の朝、僕らは出会った。」
浦上は続けた。
「(このままで済むわけがないわ。)・・江理子はそう言ったんだ。」

          *                 *       *
「このままで済まないような気ぃがするわ」
「え・・・・・?」

 女は柔らかな京風のアクセントで話し始めた。

「私たちはみんな、このあとなにもかも死んでしまうんやないかしら?」
「どう言うことだ、君。」

 女は澄んだ目を見せた。胸には(伊集院江理子)と言う鑑識票が縫いつけてあった。

「試練や言うている人たちの試練はこれからなんやわ。勿論、私たちもやけれど・・・。」
「自分たちも・・・?」
「浦上はんっていうんですね・・、大東亜戦争はもう負けるわ。そやけど、ずっとあとの時代に向かって果てしなく負けてしまうような気がするわ。」
「どういうことだ・・・」
「心が、信仰が、そしてなんやろ、ずっとつないできたもの。・・何よりも日本そのものがずたずたに負けてしまうような気がするんどす。」
「これから、どうなるんだろう。」
「日本が、外からも、中からもつぶされてしまうって事やわ。」
「・・・・・・。」

ぼく(浦上)は、そこで彼女に強く惹かれてしまった。 

              *             *      *

「昭和三〇年、意外な出会いがあった。それから10年後だ。」
「僕の生まれた年ですね。」
「あの廃虚だった日本は、やっと豊かさに向かってスタンバイをかけた頃だ。」
浦上はそこでビールをもう一本注文した。
「出会ったのは長崎ですか?」
「いや、京都だ。彼女の実家は京都にあったのだ。僕はD大神学部の大学院にそのころ通っていた。全く偶然に音信不通だった彼女に巡り会った。」

          *                  *                   *


 京都・・・東山護国神社
維新の英雄たちの墓がこの裏山に連なっている。ぼく(浦上)はなぜかこの場所が好きだった。
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓の前にさしかかった時だった。
この場所からは京都の町並みが一望でき、左手には八坂の塔が忽然とそびえ立つ、そんな場所だった。その場所に、苔むした墓石が並ぶ中、白い日傘の中に清楚な和服の若い女が佇んでいた。

「浦上はん・・・・。」
「え・・・・?」

その女性は意外にもぼくの名を呼んだ。
「・・・・・・・・・?」

 すぐには思い出せなかった。ぼく自身、清楚な和服の女性にはとんと縁がなかったし、被爆当時の彼女はもんぺ姿の女子学生であったわけだし・・・。

「・・・・・・あ・・・、」


 ただし、その澄んだ目元は記憶があった。ぼくはその清楚な和服の胸におぼろげに認識票が浮かび上がるのを感じた。

(・・伊集院江理子・・・)

その名前が鮮烈によみがえった。

「・・・伊集院・・・江理子・・・さん?」
 女はぱっと明るい顔をして、なつかしそうな顔を見せた。

「あらぁ・・・覚えてくれはったんですね。」
「なぜ・・・君が・・・?」
「あら、うちの実家、京都(ここ)なんですのよ。」
「長崎まで動員ってのは大変だったんですね。」

「そうどす、私でき悪いさかいに・・・。」
そう言って江理子はころころと笑った。
「それより、浦上はんはどうして京都(ここ)に?」
「D大の大学院に通ってるんだ。」
「あら、まぁ・・・Dやんでしたか。」
「しかし・・・何年ぶりだろう?」
「・・・10年目・・の夏ですわ。」

          *               *         *

「先生は、その江理子さんと恋人同士になったというわけですか。」
僕は少し意地悪げに浦上先生に話しかけた。

「いや、強いて言えば(予定説)だ。」
「運命として遭うことを予定されていた・・・。」
「どうだろうねぇ・・・ただし、咲をこの世に存在させるために神が与えた予定だと言うことが、言えるかも知れない。」
「咲・・・ですか?」
「僕たちはそのあと恋に墜ちた・・・。」
「咲は、その時に・・・?」
「僕は彼女と一緒になるつもりだったし、彼女もそれを拒まなかった。」
「それならば・・・なぜ彼女は先生のつれあいではないんですか?」
「伊集院江理子が、かたくなに僕との結婚を断ったのだ。」

 浦上は、そこでなぞめいた言葉をはいた。僕は混乱した。

「彼女は確かに身ごもった。僕の子供だ。」
「それが・・・・咲なんですか?」
「それは・・・・・わからない、なぜなら、彼女はそのあとある家に嫁いだからだ。だが、咲は母親と瓜二つなことは確かだよ。彼女の子であることだけは間違いないな。」
「え・・・・・?」
「だが、彼女はすぐに子供を連れて離婚した。」
「・・・・・・・・。」
「彼女は病気だったんだよ。その後、咲を僕に託して亡くなった。僕は今の妻と結婚していたが、妻の承諾を得て咲を僕たちの子として引き取った。咲はまだ1才にもなっていなかった。」
「・・・・・?!」

浦上はそこで鞄から古ぼけた手帳を取り出した。

「耕作君、これが何だかわかるか?」
「・・・・・原爆手帳・・・・ですか?」
「そうだ、実は咲も持っているんだ。」
「・・・・・・?」

 僕は浦上の顔を見た。
「被爆者とその二世との原爆症の関連は、つい最近の事だが、先天性の病気については認証されたのだ。」
「咲は先天的に原爆症と関連のある病気だと言うことですか?」
「慢性骨髄造血障害、と言うものを背負って出生してきた。」
「・・・・・・。」
「この病気は、伊集院江理子の命を奪った病気、すなわち原爆症である急性骨髄性白血病とは違うが、一応原爆症として認定されている。」
「それでは、咲はまもなく死ぬ・・・と言うことですか?」
「急性転化したらあるいはそうなるかも知れない。幸い、咲に関しては慢性症状が見られるものの、急性転化の兆しはないようだ。だが、小さい頃から体は華奢で弱いし、病院通いは欠かせないがね。」

 僕は咲の「死ぬわ」と言う言葉の意味が何となく解かったような気がした。咲は生まれながらにして自分の体の中に原子爆弾の記憶を宿らせて生まれてきたのだ。それも、いつ爆発するかわからない爆弾なのだ。咲の言葉にはそんな意味が含まれていたのだろう。

「残酷な話だろう・・・」
「はい・・・・」
「私は被爆はしたが、こうしてぴんぴんしているんだがね、それでもこの手帳は交付されるんだよ。」
「同じものを咲が持っているって事は、何だか妙な気がします。」
「そうだろう、そこまでなぜ残酷なのか、私は宗教の持つ残忍性だと考えたんだ。たとえば、十字軍クルセイダーズに代表されるようなキリスト教世界の独善性にだよ。そこの何かがあると考え、クリスチャンになった。」
「先生は・・・考えてみると恐ろしい学者のような気がします。」

僕は浦上せんせいにそこまでしか言うことが出来なかった。

「はははは・・咲はもっと怖いぞ。よろしくつきあってくれ、特に、もう二人は結ばれたみたいだからな・・。」

僕はちょっと浦上教授せんせいの顔を直視できなかった。

天使ミカエルにするか、悪魔ルシファーにするかは、君にかかってるというわけだ。だが、未来において咲を救う弥勒みろくに、君はなれるかというのが命題だな。」

 浦上はそこで僕に笑いかけた。なにか、予定説の予感を感じるがごとくの言い方だったのが僕には気になった。

 咲の大学生活は、こうしてはじまったのだ。

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