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ムダに教養がつくかも知れない不定期な雑学講座の連載(講義中は寝ないこと)~世界宗教の基礎知識3「キリスト教」をひもとく 第1講 「聖書」の世界 その8
イエスの受難
ユダの裏切りで逮捕されたイエスは、
大祭司のもとに連行されて、異例なことに真夜中にもかかわらず、
直ちに最高法院での裁判が開かれました。
その結果、祭司たちの思惑通り、
イエスに死刑の判決が下りました。
しかし、ユダヤの最高法院には、
死刑執行の権限はありませんでした。
なぜなら、この当時パレスチナ地方は
ローマ帝国の「ユダヤ属州」でしたので、
ユダヤ属州総督の裁可がなければ、
処刑を行うことはできなかったからです。
死刑判決を受けたイエスは、
属州総督ポンテオ・ピラトのもとに送られました。
しかし、ピラトにはイエスを死刑にする根拠がありませんでした。
唯一の条件はユダヤの最高法院の「判決」のみであり、
その他客観的な根拠は見当たらなかったからです。
なぜなら、この死刑判決はあくまでも
祭司側の一方的な主張であり、
イエスの抗弁は一切なかったからです。
それゆえそこには陰謀の影があることは
一目瞭然であったからです。
公的なローマ帝国属州総督としては、
たとえ結果論であってもそういった、
部族内での私刑まがいの事に、賛同するわけにはいかなかったのです。
ピラトは、そこでイエス救済の一計を講じ、
「過越祭」の恩赦をイエスに適用しようと考えました。
ところがユダヤの民衆が恩赦の対象に選んだのは
イエスではなく、殺人犯のパラパでした。
すでに祭司たちに扇動された民衆は
もはや正常な判断力はありませんでした。
人々はピラトに対し、暴動に近い形で口々に叫びます。
「イエスに死を!」
ついにピラトは、ファリサイ派に扇動された、
愚かなる民衆に屈し、イエスの死刑が確定したのです。
そこには「社会的弱者」の声は反映されることはなく、
ピラトが考える「客観的な正義」もありませんでした。
ゴルゴダの丘へ
ローマの兵士は、罪人になったイエスに対して激しく鞭打ち、
屈辱の茨の冠をかぶせました。
暴行と陵辱の限りを尽くされたイエスは、
自らの刑具となる十字架を背負い、
処刑場のあるゴルゴダの丘まで引き回されました。
そしてイエスは二人の強盗と共に十字架にかけられました。
マタイによる福音書の27章では、
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)。」
という言葉を叫んで、こときれたということが記されています。
そして、その後に記されたとされる、ヨハネによる福音書では、
その苦しみの言葉の後、
「渇く」そして、「成し遂げられた」
という二つの短い言葉を発することによって、
イエスは死を迎えることになったと
記されているのです。
つまりこのことは、この絶望とも呼べる言葉に裏に、
旧約聖書に書かれた神との契約において、
このことをもって人々は真に救われるのだ。
というメッセージがあるのだ。
という解釈を、ヨハネがこの言葉で以て示しているのだ。
という解釈をする説もあります。
イエスの復活
受難の末に息絶えたイエスでしたが、
遺体はその日のうちに十字架から外され、
墓に安置されました。
3日後、マグダラのマリアたちが
イエスの遺体に香油を塗りに行ったところ、
墓がからになっていたのです。
彼女たちは驚きますが、そこに二人の天使が現れ、
イエスが復活したことを告げたのです。
単純な論法ですが、イエスの復活とは、
死体であるイエスがむっくり起き上がったというのではなく、
「墓がからっぽ」になっていたという事実だけが
記述されているのです。
すなわち、肉体の死の姿はないがゆえ、
イエスは復活して神としてそこにある。
という信仰の始まりだととらえることができます。
これが「キリスト教」の始まりとなるのです