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「999(スリーナイン)」この哲学的すぎる表現と「評価」っていう、こむずかしい事をつぶやいてみるのだ。

Noteは自由表現の場・・かもしれない。一見自由だ・・・・・が、「数字の評価」の奴隷にもなっている状態だったら、「機械の身体」を求める旅に出る、「999」のようでもある・・。


さて、唐突ですが、今まで続けてきた「毎日投稿」という「呪縛」から、一旦離れてみようと思っております。

 こだわってはいないといってはいたものの、こだわっていたのでしょう。
それに気づいただけです。いつのまにか「連鎖」にハマってしまっていた。

だから、明日にでも止めちゃおうと思ったのです。
 まぁ、こんなのは、あくまでも「自分の問題」であって、みなさまには、「クソのものでもない」事はわかってます。

あくまでも自分自身の「自己満足」の話です。何の意図も他意もありません。・・ねんのため

 この際「諸行無常」とは何か、「煩悩とは何か」で、「執着」を切ってみる。

 いつでもいいのですが、「もっともそれを思い知りたい・・努力がゼロになる事もあるのだ。」こういう事が「諸法無我」を実践するいい機会だと思いました。

「もっとも切りが悪くて、切りがいい。」タイミングはいつかな?とずっと考えていました。どうすれば「連鎖」を切ることができるか。

それは「節目の前日」です。
いわば満願直前に諸行無常観を実感する試みです。
「せっかく」というサンクコストからの「解脱」です。

この「せっかく」は、あたしの「禁煙」や「ダイエット」にずいぶん効果を発したムーブメントです。ですが、今回はいつのまにか「マーラ(悪魔)」になっていたことに気づいたのです。それこそ「諸行無常」でした。

ブッダがスジャータの乳粥を啜ったわけが、なんとなくわかった感がします。

したがって、連続投稿100日目の明日は、記事を投稿しないことにしました。99日で記録が途切れます。


節目寸前で「達成できない」
あたしはそれがいいと感じました。
すなわち、「いつまでも未完でいることが創作の原動力」
であると感じるからです。

 これはいい、そうしよう・・・・よし、99です。いや、もっというなら999でもいい。だけど、それじゃ遠大すぎる。

 あ、あの作品のネーミングは「あとひとつ」のあり方にあったのだと今考えついた。・・・。だって、松本零士の作品に「1000年女王」って言うのがあったような。

 なんだ、999も含めてスピンオフで繋がってるじゃないか、松本作品。・・だけど、それはこの世の真実だと思うのです。
 まぁ、この話題は後日。

メーテルは「未完」の象徴、残りのたったひとつを運ぶ存在だったと、改めて気づいたわけですよ!。

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 で、それがいい事かどうか・・・。「残りのひとつの重さ」

 たぶんそれが象徴なんだ。で、メーテルは常に悩んだ。鉄郎は最後の一つだが、それを完遂させて果たして良いものかと・・・。

 こう悩む存在。・・・・それが、機械でもなく人間でもない、「あとひとつだけがない存在」それが「メーテル」なのだ。

あとひとつ、あと1回・・・・。それができなくて人はあがく・・

でも、それは逆に希望。・・「あと一つ」は、次への活力を生む。」

 もし、達成したなら、目標を失うか、はたまた餓鬼道のごとく、また、次の「無間の達成への旅」に突入する。で、いつのまにか変質してしまう。
すなわち終わりのない「次の未完達成への欲望の奴隷」
・・それは永遠に続くのだ。

 数字は単なる評価。自分からも、他人からも・・。
ただの「概念記号」なのに・・・。
 不思議だ。だから、昔から嫌いでもあり、ある意味逆説的に好きでもあった。

評価するのは自分なのか、他人なのか・・・。

100じゃなければ、本当にゼロなのか・・。

いろいろ突き詰めて、ただ座りながら、この数字で考えてみるのです。

では、99日間連続投稿完了・・・DEATH!。

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