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「はるか」を・・繋ぐ・・β(beta)

 明け方、咲は僕の胸の中で静かに寝息を立てていた。

 僕は咲の柔らかな髪を咲を起こさないように静かになでながらずっと咲の寝顔に見入っていた。咲の顔越しにベビーベッドに横たわる、はるかの寝顔が見えた。
 僕は咲のまだあどけなさすら残る顔と、はるかとの顔を交互に見つめていた。はるかは時々けらけらと声を上げて笑った。夢でも見てるのだろうが、
その夢の実体は僕にはあずかり知らないところだった。

 そんな中で咲も全くはるかと同じ顔でけらけら笑った。・・・咲も夢を見ているのだ。僕はそんな二人の共通点を見ながら、僕は改めて自分の「責任」のような物を心から考えていた。

「・・・こうさく・・・・。」

 咲はいつの間にか目覚めていた。咲は僕の名をつぶやいたあとただ黙って僕にその裸体をぴったりと寄せた。
「・・恥ずかしいから見ないで・・・。」
「・・・・。」

 僕はその恥じらいを無視するように、咲のすべてを露わにした。咲は「きゃっ」と小さな声を上げて、体を縮めた。僕は、咲の華奢な体を優しく開いた。咲はごく自然にそれにしたがった。咲の胸はあのいつもの小さな胸とうってかわって、はるかのためにふくよかなものになっていた。

「・・・胸だけは、最近自慢できるかな・・・。」

咲は笑った。僕は咲のふくよかな胸を転がすように口で愛でた。甘い味がした。
「・・・甘いぞ・・。」
咲はくすくす笑いながら答えた。
「そりゃそうだよ・・・、はるかのために甘いんだから。」
「・・・ああ、そうだな・・・。」
「だから、そこは今はこうさくの物じゃないの、はるかの物なのよ。」
「あまりいじると、はるかが怒るかな・・・。」

その時、ベビーベッドのはるかが、まるで察したかのようにぐずり始めた
「・・ほらね・・。」
咲は裸のままベビーベッドに向かい、ぐずるはるかに自身の乳首を与えた。
僕は、はるかを抱く咲の肩に毛布をそっと掛けた。

「・・ありがと、優しいんだね。」
「・・まあな・・。」
「・・こんなひとときがずっと続くと良いなぁ・・。」
咲ははるかの顔を見ながらそうつぶやいた。
僕自身も心底そう思っていた。

「・・・・あ・・・、」
「・・・え?」
「・・・ふふふ・・、寝ちゃった。」
咲はそっとはるかをベッドに寝かせると、僕の傍らに滑り込んできた。
「・・今度はこうさくの番・・・。」

 咲は僕の口に胸をあてがった。僕は何となく罪悪感を覚えながら、その甘い香りにむしゃぶりついた。

「・・・くすぐったいよ・・・。」
咲はくすくす笑った。咲は僕の手をそのしめった体の入り口へと誘った。
「ここは・・・あなたが権利あるわ・・。」
 咲は吐息をあらげながらそう言った。
そして僕たちはせつない感覚とともに再び一つに溶けた。


「・・・また、たくさん命の素をもらっちゃった・・。」
「・・・・そうだな。」
「だけど、それが人間としての命になるかは・・・、神しか知らないわ。」
「考えれば、『個人』が生まれる確率はすごいモノがあるからなぁ」
「・・そう、そうなのよ。」
「君に逢えなければ、『はるか』じゃなかったからなぁ」

「あたしがこの体で『はるか』を無事出産できたのもすごい確率だったって・・・。」
「そう考えれば、もっとすごい。」
「もっとあるわ、あたしの実母が生まれなかったり、長崎の爆心地で父と出会わなければ、『はるか』は生まれない。」
「僕の親たちもそうだな。」
「あなたの亡くなったおじいさまと、おばあさまが逢わなくても・・・そうよね。」

「・・・『はるか』はそう考えればすごい存在なんだななぁ・・・。」
「あたしたちよりもっとすごい確率で生まれてきたんだよね。」
「そのどれが欠けても、はるかは存在しないんだからなぁ・・。」
「そう考えれば、すごい・・・・。」
「これからもたぶん、僕たちがいることで存在できる物が沢山あるんだろうな。」
「・・・うん・・・。」
「・・・。」
「ねぇ・・・こうさく・・・。」
「・・なんだ?」

「人生の命題が・・・、何となくわかってきたの」
「・・うん、僕もなんとなくな・・・。」

命は天から舞い降りて、幾千万の花になるのよ。雪は毎年降るし、波は寄せて返す。必ず命になって再び蘇るのよ。命のレベルにおいて、すべては平等なんだわ。あたしも、こうさくも、今の人間としての使命を終えたら、また新たな天命を受けて何かの命として蘇るんだわ。あたし、黙示録の(私はアルファでありオメガである)という言葉がどうしても判らなかったんだけれど、何となく今なら判る。」

「・・・だから、『はるか』って名前を付けた・・。」
「・・わかってる・・・。」
「・・・・・。」
「その名前、聞いたときに、こうさくがあたしの命題に答えてくれたんだって、心から思ったの。」

 咲は僕の胸の中でそうつぶやいた。咲はもう一度、僕の顔をじっと見つめて続けた。
「・・こうさく・・・、あたしの使命は終わったのかな?」
「どうして?」
「だって、はるかを産めたし・・・。」
「僕は・・・?どうなる?」
「・・え・・・?」

 咲は意外だという顔で僕を見つめた。
「世界で一番大切だと思ってる咲を、こうやって見つめてる僕に対する君の命題は?」
「・・うふふふふ・・・。」
咲は不敵な笑いを見せて僕を試すように言った。
「・・あたしの中のシンシアがいるよ・・。」
「ははは、シンシアは、まえに完全にふられたじゃないか。」
「・・・そうかぁ・・・。」
「ふふふ・・・、ばーか。」
「あ・・・ひどぉい。」

 僕は懐かしい咲の稚気にふれて、何となく嬉しくなった。考えれば、僕はそもそも咲のこういうところが好きだったのだ。

「・・・なんだか、あたしをめちゃくちゃに壊れてしまうくらいに愛してほしくなっちゃった・・・。」
「壊したくないな・・・。うんと優しくしてやりたい・・・。」
「それじゃ、あたしのニーズに応えてないわ。」
「君が求めればいい、だけど、僕は力一杯じらしてあげるから・・・。」
「こうさくって・・・、絶対意地悪ガキ大将だな・・・。」
「そうだ、それが僕だもんな・・。」
「・・・いじめてよ。」
「いじめない・・。」
「いじわる・・・。」
 
 僕は妙におかしくなった。僕はしっかり咲をいじめているではないか。咲はそれに気がつかないのだ。
「ねぇ・・・さわって・・・。」
咲はしきりに自分の熱くしめった谷間に僕をいざなっていた。しかし、僕はそれをずっとはぐらかしていた。咲がだんだん不機嫌になるのが手に取るようにわかった。

「・・・・なによ・・・!」
僕は咲の意外な反応に少しうろたえた。
「こうさくのばか・・・、もう離れてよ、あなたなんて嫌い、もうさわらないで!」
咲は僕を鋭い目で睨んだ。そして、そのまま僕に背中を向けてふてってしまった。

「・・・咲・・・、」
「うるさい!話しかけるな、ばか。」
「・・咲・・・、悪かったよ・・・。」
「うるさいって言ってる!」

 咲はそう言うと、脱ぎ散らかした下着をつけはじめた。

「・・・おい・・・。」
「うるさいな・・・、触りたくないんでしょ?あたしに。寝るから!」
「・・・・。」

 僕はその剣幕にすっかり押されていた。僕は裸のまますっかり取り残されてしまった感じがしていた。咲はそのまま寝息を立て始めた。僕は改めて自分の傲慢さを思い知らされた感じがしていた。

ふりむくと、はるかが寝言のようにケラケラ笑っていた。

          *    *    *

「・・・こうさく、起きて・・・」
咲の声で僕は目覚めた。時計を見るとまだ6時を回ったばかりだった。
「・・・今日は休みなんだけど・・・・。」
「わかってるよ、だから起こしたんだけど・・・。」
「・・・ゆうべは・・・」
「・・・言うな!こうさく・・・。あれはシンシアの抵抗。」

 咲はそう言うと僕にしがみついた。咲は心の中で何かを焦っているようなそんな気がしていた。

「・・・まだ・・・はるかは起きないわ・・・。」
「・・え・・・?」
「さっき起きて・・・また寝たの。」
「そうか・・・。」
僕は咲がすっかり母親になっているのを感じた。咲ははるかの生理リズムに合わせて今は生きているのだ。そう思った。

はるかに合わせて、今日は過ぎるんだよ・・・。」
僕は咲のさわやかなほほえみにすっかりまいっていた。
「・・・まいったな・・・。」
「でも、はるかはまだ寝てるから、大丈夫だよ。」

 咲はそう言うと僕にしがみついた。カーテン越しの光は柔らかく、咲の裸体はすべてが晒されている印象を持ったが、その姿はあたかも妖精のようにいたずらっぽく、それでいて僕の欲望をそそってあまりある姿であった。

「でもね、こういうことってって・・・、やっぱり恥ずかしいよ。」
「・・・そうだな・・・。」
「・・・恥ずかしいから・・・いいのかもね・・。」

 咲はそう言った。僕は真理だと思った。秘するからこそ二人だけの世界になりうる。だからたとえ夫婦であろうとも、こういう営みを他には語るべきでもないし、その素振りすら見せるべきでないと考えていた。でなければ、愛し合う二人が体を合わせる意味がないと僕も感じていた。咲が内海あゆみと僕の間に何があったか何も聞かないのも、そう言う考えがあるのかも知れないと僕は思っていた。

「・・・・でもね・・・。」
咲は意味深げに僕を見た。
「・・うん?」
「男の人って、たとえばおっぱいが大きいとか、セクシーだとか、その方がいいんでしょ?」
「・・・一般的にはそうかも・・。」
「じゃぁ、あたしは全然対象外なのに・・・なぜあなたはあたしを抱いてくれるの?」
「・・・咲だからさ・・・。」
「うふふ・・・、ありがとう。」

咲は僕に小さく口づけをしてもう一回つぶやいた。

「あたしにとって、こうさくは『オンリーワン』だって事。あなたも・・・そうなのかな?」
「そうじゃなきゃ、そんな枯れ枝みたいな体なんて抱かないよ。」
「・・・あ、ひどおい・・。」
「だけどな・・・、」
「何?」
「これからの時代・・・、オンリーワンなんてバカだと言われるような感じになるような気もしている。」

「・・どうして?」
「状況に流れていれば、楽な時代になるような感じがするから・・・。」
「・・・はるかは・・・。オンリーワンになれるのかなぁ・・。」
「時代が許さないかも知れないが、はるかの頃には、オンリーワンになるにはものすごく強い意志が必要になるかも知れないな。」
「・・・うん・・・。」
「それは、大人になったはるかに選ばせるさ・・。」
「・・そうだね。」

はるかはまだ、すやすやと寝息をたて、ベビーベッドの中にいた。

 心からそう願ったのは、もしかしたら、二人ともそれを自分たちが見届けられないかもしれないという、何かの予感があったのかも知れなかった。

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