民主主義を語ると、とっ散らかる。
今日は、久しぶりに
教室のえんがわのスタッフメンバーと
おしゃべり。
民主主義について
話してみた。
<幼稚園児のお受験>
幼い子どもを
何時間も椅子に座らせて
私立小学校への受験勉強をさせる。
その環境で育つ子供は
”何かを知らない子”を見下すようになる。
たくさんのことを知っていることを
ひけらかすようになる。
幼い頃から競争することばかりをしていると
”誰かに勝つ”という欲求が強くなる。
競争心とは
後天的に身につける部分が多いのではないか。
幼い時期に1つの正解を追い求めることで
多様性に対する許容力を弱める。
こういうことからも
民主的な姿勢は失われてるのかも。
そう考えると民主主義って
国がどうこうではなく
家庭や職場など
個人レベルの現場で
どうこうしなくてはいけないもの。
<なぜ、必要なのか?>
民主主義は、なぜ必要なんだろう?
深刻な環境問題を抱える今、
地球にとったら
人類そのものが悪じゃないのか?
そんな私たちが
互いの尊厳を守っていこうとする
意味はなんだろう?
地球も1つの生命体と捉えるならば
人間だけが擁護されすぎじゃないのか?
そもそも、
人間はそこまで高尚な生き物だろうか?
人は妬みの対象が不幸になると
快楽物質が出るという。
妬み自体が悪いわけではない。
それを自分の成長に活かせる場合もある。
でも、それによって足を引っ張り合うこともできる。
そんな不安定な生き物が
全ての人の幸せを願うなど
可能なのだろうか?
もしかしたら、人間ってものすごく
低俗な生き物で
そんな生き物が
民主主義を目指すって
実現不可能なのでは?
ちゃんちゃら
おかしいのでは?
<格差はなくならない>
人は生まれながらにして
格差を持っている。
みんなが同じスタートラインで
始めているわけではない。
能力に恵まれ
環境に恵まれた人が
上位層となる。
それはこれからも
なくならないだろう。
でも、それをピラミッドのように
上下の関係図で表現することは
好ましくない。
民主的に表現をするならば
同心円がいい。
みんながフラットな位置にいる。
政治家や能力の高い人が
円の中心にいるべきか。
それとも円の中の外側にいて
中心の人を守るべきか。
どちらがいいのだろう。
<とっ散らかる>
民主主義を語ろうとすると
捉える規模が人によって
全く違う。
人類を語る人もいれば
自分のいる現場を語る人もいる。
広すぎるテーマで
とっ散らかる。
答えなど
絶対でない。
でも問い続ける、考え続けるテーマとしては
最適だと思う。