資源の観点から文明開化を考える
文明開化は、明治時代の日本に西洋の文明が入ってきて、制度や習慣が大きく変化した現象のことを指します。明治政府は、近代化=西欧化と考え、積極的に西洋の制度・習慣を取り入れました。また、その当時のハイテク技術である、鉄道、蒸気船、レンガを使った西洋建築なども取り入れました。さらに、工業化を推し進めるため、官営の製鉄所(八幡製鉄所)や製糸工場(富岡製糸場)などが作られました。
文明開化という言葉は、福澤諭吉が『文明論之概略』の中で、civilizationの訳語として使ったのが始まりだそうです。文明開化の中、西洋の文化・風俗を模倣したりアレンジしたものから、西洋文化を手本としながら日本文化との融合を図ったものなどが、様々な社会階層に受け入れられていきました。
では、明治時代の日本で文明開化が受け入れられ、結果として近代化が進んだのは何故でしょうか。もちろん様々な理由があるでしょう。明治政府が精力的にその政策を推し進めたことも1つの要因でしょうし、高度な技術を日本に定着させた日本人の識字率の高さや勤勉さも1つの要因でしょう。明治初期の識字率は、当時の発展途上国の中では飛び抜けており、西欧諸国にも引けを取らないレベルでした。
しかし、西洋の進んだ技術を取り入れるためには、資金が必要です。あわよくば日本を植民地化しようと虎視眈々と狙っている西欧諸国が、タダで様々なものを日本に供与したわけではありません。日本(明治政府)は、そのような高価な技術を買うだけの、金や銀などを持っていたのです。日本はマルコ・ポーロによって”黄金の国・ジパング”と紹介されたように、古くから金や銀を貨幣として用いてきました。
日本は、今でこそ鉱物資源などを海外に依存する資源小国ですが、以前は金・銀・銅などを大量に産する資源大国だったのです。佐渡の金山、石見の銀山、別子の銅山は日本を代表する鉱山でした。この自前の資源によって、西洋の進んだ技術を購入することができましたし、最先端の知識を教育してくれる御雇外国人なども雇用することができました。
明治時代の文明開化は、日本の鉱物資源が支えたことには異論はないでしょう。