『学び合い』と協働的な学び!『学び合い』は本当によくできている!!
先週は息子と娘が交互に熱を出していました。
本日は妻が発熱。
自分も起きたら喉が痛い。
家族みんな本調子ではない感じです。
来週の月曜日と木曜日は、自然教室のアントレ発表者8名を、武蔵野大学のアントレプレナーシップ学部の学生さんが指導してくれます。
また、火曜日は要請訪問で教育委員会の指導主事に来ていただき、ご指導いただくことになっております。
これ以上体調を崩さないようにうまく休息をいれながら、頑張っていきたいと思います。
そんな日だったので、午前中に選挙に行ってから、本を読んだり、調べ物をしたり、選挙へ行くための散歩以外めずらしく一日中自宅で過ごしています。また、今日のnoteは、 音声入力で 書いています。娘が泣いているのですが、その声は認識しないのですごいなと思っています。
今日は協働について、頭を整理させていました。以前職員室で協働についての話題が上がりましたが、なんか噛み合わないズレみたいなものを感じていました。
自分が本日まとめた内容は、こちらの3つを満たさなければ、協働的にはならないのではないかと考えました。(合っているかわかりませんが…笑)
①共通の目標の共有
②対話や意見の共有
③新しいアイディアや視点の創出
この3つを満たすとなると、やはりプロジェクト型の学習になってくるイメージです。
たとえば、数学で「桜の開花日を予想しよう」という授業があるとします。
すると、①共通の目標は「桜の開花日を予想する」です。
そして、②対話や意見の共有では、目標を達成するためにはなにを材料にするかを考える行為が該当すると思います。今回の題材だと、気温なのか、湿度なのか、天気なのかなど。
そして、例えば気温を採用したときに、2,3月の平均気温と開花日に関係性がありそうということを発見し、一次関数を使おうというアイディアが出てくるのが、③新しいアイディアや視点の創出になるのかなと思います。
自分は、この例(3つを満たすこと)と一方が一方に教えるということの区別を付けるのが非常に難しかったんです。一方が一方を教えるにしても、この3つの条件を満たすだろうって思っているので。でも、一般的に違いそうだということがわかりました。
なぜかというと、自分が『学び合い』実践者だからです。
『学び合い』をやっている先生は、「誰一人取り残さないことを諦めてない」んです。だから、一方が一方に教えるということにおいて、この3つの条件を、満たすだろうと勝手に考えている。本気で理解させようとする生徒は、新しいアイディアや視点を創出します。本気でこれを考えていない人(『学び合い』実践者でない人)は、おそらく①〜③のどれかが欠落してしまうのかなと感じます。
そうなると、協働とはいえなくなってしまうんです。
『学び合い』は本気なんです。本気だから、この3つの条件は満たす可能性が高いんです。だけど、本気じゃない教える行為は、この3つの条件のいずれか(すべてかも)を満たすことができないかもしれない。
だから、『学び合い』実践者と『学び合い』実践者じゃない人とは、「協働」にズレが生じてしまうといった感じです。
やっぱり『学び合い』はよくできてるなって思います!