ひきこもりと学歴について
先日週刊誌に都立高校が躍進している記事が僕の目に入った。
内容は週刊誌おなじみのここ数年日比谷高校などの都立高校が東大合格者を増加している類の記事であった。
僕自身は中学から不登校で高校は通信生。
大学受験にチャレンジするも当然志望校には入学できなかった。
仕方なく通った大学には二ヶ月くらいで精神疾患に陥り中退。
そんな僕がなぜ学歴にこだわるのか。
それは父親の影響であろう。
父親の世代では有名大学から大企業に入るのが人生の絶対的幸せの価値であり、その影響をもろに受けた僕の父親から聞かされるのはいつもあの人は○○大学で優秀なんだ。
あの人は○○大学だから相変わらず仕事ができない、このような感じで話すものだから影響を受けないわけにはいかなかった。
また、僕は近しい人々が有名大であったこともあり僕自身の学歴と周囲との学歴の差に悩まされ続けた。
一時は試験のない慶応の通信に入学しそれだけで学歴というものを欲したこともあった。
今でも、同世代の有名人が海外の大学へ留学することを聞くと羨ましく思う。
仕事をすれば学歴など関係ない。
学歴はその人の一部でしかない。
もはや学歴だけで、その後の人生がうまくいく保障もない。
これらの言葉を聞くがやはり僕には空虚に聞こえる。
だって僕が仮に東大卒だったら良くも悪くも違う人生になっていただろうし、周囲からの目線も当然違うと思う。
高学歴ゆえの苦しみがあることもわかってるし、この年齢になっていまさらと思う。
しかし多くの人々がどうしても気になるこの学歴。
たいした学歴のない僕のこの「ザ学歴」は永遠に心のなかから消えない価値観だろう。
著者プロフィール・中二で不登校、22歳で大学合格するも体調を崩しひきこもり状態へ突入。 現在、不登校・ひきこもり経験を活かし、市民活動「ひきこもり発信プロジェクト(講演型)」代表として活動中 タウンニュース、神奈川新聞、社会福祉協議会広報誌「さくら貝」など多数掲載 冊子すぐそこにあること販売中
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