生産性を定義するなら「分母と分子」をはっきりさせろ、という話
はじめに
前回は「10分の作業を1分に縮めるDX」について考えてみました。
これを「ほとんど効果のない取組み」と捉えるか、「DXの第一歩」と捉えるかについて、今回は製造ラインの生産性と、デスクワークの生産性を定義から考えてみます。
製造ラインとデスクワークの「生産性」を比較
なにごとも定義が大切です。私の人生の師にも
言葉は、書かれている通りの意味しか持たない
と教わりました。
生産性とは何か? 製造ラインと、デスクワークで「生産性」の意味合いが何か違う気がするのは体感としてわかります。結論から言うと、以下のようになります。
製造ラインの場合
このnoteでは以前から
製造現場における生産性を示す指標は「設備稼働率」である
と書いてきましたが、今回の議論でもこの考えを踏襲します。
このパターンでは、以前書いた通り「設備の稼働時間」がそのまま生産量に直結します。生産性の指標は「労働時間内にどれだけ稼働できたか」だけで決まります。そして、製造ラインに最適な人数と時間は最初から決まっています。そういう製造ラインの場合、人が何人寄ってたかっても基本的に生産量は変わりません。
よって、このような現場では
製造時間が伸びると上がる
ということになります。
デスクワークの場合
一方、デスクワークの場合は
作業時間が伸びても、顧客に提供する価値がそれに比例するとは限らない
あたりが大きく違います。「え、投入する時間で成果物の量が増えるのだから、量をこなすことは重要なのでは?」という気がしますが、実はこれは大きな勘違いです。
製造ラインで作るものは「売り物」です。1個10円で売れるものを10個作れば100円の売り上げです。つまり、時間をかけて作れば作るほど売り上げに寄与します。
一方、デスクワークの場合、たとえば社内打ち合わせ資料を作ったとして、
この資料自体は「売り物」ではありません
ので、資料の量自体が価値を持つということはありません。あくまで、その資料が目的とする情報共有や意思決定にどれだけ寄与したかだけが問題なのです。そのため、この作成にどれだけ時間をかけたとしても、またパワポを100ページ作ろうとも、Excelグラフをパワポに埋め込もうとも、
ペライチと同じ意思決定が行われるのであれば、資料の価値は同じ
にしかならないのです。
おわりに ~意思決定に寄与しない資料は捨てたい~
元々の議題は「10分→1分の作業時間削減」でした。これをコストに換算すると936円のコストダウンという非常に塵のような額です。経営層からしたら非常に小さいテーマのように見えるでしょうし、場合によっては「それはあと回しで、別の(もっと効果金額の高い)テーマ探してきて」とか言い出しそうです。しかし、現場はこの10分→1分の方が興味があるのです。何故でしょうか?
それは、現場が
意思決定に寄与しないムダな資料は作りたくない!
と考えているからです。現場は、今作っている資料は、過去からの経緯などから意思決定に何の寄与もしないことをみんなわかっているのです。なのに、暗黙の了解で誰も作るの止めないので、あるいはやめさせないので、このような資料が作られ続けていくのです。
それでは、このような「そもそも意思決定に寄与しないような資料」をなくすためにはどうしたらよいのでしょうか? 個人的には
そのためのデジタル
だと考えております。引き続き、このnoteで書いていこうと思います。
(この項続く)