なぜ感性を磨く必要があるのか?〈自己分析25問目〉」
昨日こんな記事を書きました↓
〈記事のまとめ〉
1.高校時代の野球部のノートで“感性”という欄があった
2.コロナ時代にこそこの感性を研ぎ澄ませる必要がある
3.これから感性が豊かな人の価値が上がる
ざっくりとこんな感じです。
さらに上の記事の中で、コロナ時代に感性を研ぎ澄ませる必要がある理由として、以下の3つをあげました↓
1.“気付く余白”が無くなってきているから
2.“人間らしい生活”がコロナに奪われてしまったから
3.“感性が豊かな人”ほど魅力的になれる時代だから
ということで今日は、この3点についてさらに深掘りしていきたいと思います。
1)“気付く余白”が無くなってきている
2008年頃から日本でもiPhoneが販売されはじめて、瞬く間にスマホが普及していきました。今から13年前くらいの話です。
僕たちは、間も無くその生活に慣れてしまい、気づいたら「スマホと一緒に時間を過ごす」ようになっていきました。LINEの通知があるごとに確認したり、ゲームをしたり、ネットニュースを見たり、とにかくスマホと一緒にいる時間はかなり増えたと思います。
こういう「スマホ中心の生活」になったことによって、「周囲へのアンテナ」の感度が落ちてしまっていると思うんです。
電車に乗る時、歩いている時、友達を待っている時、ディズニーの列に並んでいる時、朝起きた時、夜寝る時、この時間に何をしてるかというと、「スマホを見る」だと思います。
2008年以前の世界は、上に挙げた全ての時間で別のことをしていました。いや、そもそも「何もしない」ということをしていたかもしれないです。
ただ、あくまで僕は「気づく余白が無くなっていることを自覚することに価値がある」という考えです。スマホが“悪”とか、人間にとって“不必要”とか、そういうことは一切思っていません。
スマホと共によりよく生活するにはどうしたら良いか?を常に考える必要があるなぁということです。
2)“人間らしい生活”がコロナに奪われてしまった
コロナが流行したことにより、「人と人との繋がり」が極端に減ってしまいました。今までは「人間らしい生活」というものすら考えなかったですが、それが強制的に意識せざるを得なくなってきています。
そもそも「気づく余白」が無くなってきたところだったので、追い討ちをかける感じになっていると思います。
ますます「周りへのアンテナ=感性」が失われていき、どこか生活が機械的になってきているような感じさえしてきます。
ただ、一方でコロナとも一緒に歩んでいかないといけなくなってしまった今、やっぱり「人間らしい生活とは何か?」という視点を考える必要がありそうです(本来であればコロナが流行らなくとも考えるべきことだったのかもしれません)。
3)“感性が豊かな人”ほど魅力的になれる時代
こんな時代だからこそ、「感性が豊かであること」に非常に価値があると思います。ここで言う“感性”というのは、「日々、当たり前のことから自分なりの解釈で感じ取れる力」のことです。
例えば、会社の同僚や上司、家族、友達、恋人、様々な人と関わっていくなかで、「あの人はこう考えているだろうな」とか、「今、こう感じた気がする」というアンテナがあることは非常に大事です。
また、美味しいものを食べた時、街中を歩いている時、買い物に出かけた時、映画を観た時、様々なシーンで「自分なりの解釈」を持っていることは、かなり価値があると思います。
これからの時代、ますます「気づく余白」は失われて、「人間らしい生活」も無くなっていくように思います。ただ、それをまずは自覚することと、自分の感性を豊かにしていくことで、幸せな生活を送っていけるはずです。
何かに打ち込んで必死に頑張ることももちろん大事ですが、ちょっと俯瞰してみて、「今自分は何を感じているんだろう?」という問いかけを持つ機会も大切にしていきたいなぁと思います。
ということで以上です!前回と今回の記事はなんだかお堅く文章を書いたので、明日はちょっとラフに書きまーす!
ではまた。
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