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周りの評価と関係なしに生きる
今日で「自己認識と他者認識の違い」の連載4日目です↓
早速ですが、こんなことを思ったことはありますか?
「周りの評価と関係なしに生きるって難しい」
周りの評価っていうのは、例えば友達や家族、会社の上司や同僚からからどう思われるか、みたいな感じです。いわゆる「世間」からどう見られるのかということです。
これは最近の僕のテーマでもあるのですが、やっぱりそんな評価とは関係なしに生きれることが幸せだと思います。
今日はそんなテーマで深掘りしてみます。
周りの評価を気にしてしまう理由
そもそも、「なぜ周りの評価を気にしてしまうのか?」について考えてみたいと思います。
僕自身は小学校の3年生くらいから周りを気にし始めて、中学くらいからその傾向が加速していきました。何かこれといったきっかけがあったわけではありませんが、逆に言えば「日々の生活」の中で徐々にそうならざるを得ない出来事があったということです。
もう少し踏み込んでいくと、「周りの評価を気にする」というよりも、「周りが求めている空気感に合わせにいく」という表現の方が近いかもしれません。
でも、一体なぜこんなことが起きてしまっているのか?
これに対する僕の中の答えは、「ある意味“楽に”生きれるから」です。自分を主張せず、周りの空気に合わせている方が衝突は起きません。自分が嫌なことを飲み込み、自分が好きなことを表現しない方が、「人とぶつからないで済む」ということです。
はたして、当時ここまで考えていたかというと、そういう訳でもありません。ただ、今の僕が昔を振り返るとそう感じます。
「楽に生きる」の落とし穴
楽に生きるという手段を取れば、周りと揉めることもないし、変ないざこざに巻き込まれることもないし、「日々の生活が楽しくなる」と約束されたような感覚になります。
これはあながち間違いでもないかもしれません(ここがすごくやっかい)。
しかし、こうして毎日を過ごして、何年も時が過ぎていったときに、ある「落とし穴」にハマっていることに気づきます。それは、「自分が何が好きなのか、自分の好奇心がなんなのか、そのセンサーが鈍る」ということ。
大人になってから、「自分って何がやりたいんだっけ?」と考えみても、全く答えが出ないということが起きます。
一方で、幼い子供が駄々をこねたり、自分勝手な行動を取るのは、「世間からの評価」という概念がそもそもないからです。その分、自分の気持ちに素直になって、行動しています。
僕は今までの人生で、(決して全てではありませんが)「楽に生きる」という手段を取ってきました。だから自然と、僕自身の中にある「これがやりたい!」「これはやりたくない」という声がわからなくなってしまったんじゃないかなと思います。
「周りの評価と関係なしに生きる」とは?
今年で26歳になりますが、ここにきてようやく「周りの評価と関係なしに生きる」ということの意味をわかってきたような気がします。
僕の中では、それは以下のような言葉として理解されます↓
・自分の好奇心に基づいて行動すること
・自分の中にいる他者(自分のこと)を愛すること
・相手が相手らしくいれることを喜ぶこと
この3つが重なった時に、「周りの評価と関係なしに生きる」という状態になっているんじゃないかなと思います。
今の自分はこれができているわけではありませんが、このように考えることができるようになってきたのは良いことだなぁと感じています。
次回の記事では上記の3点についてそれぞれ深掘りしていきます!
ということで今日は以上でーす。
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