人類を救った細菌学者コッホの研究①
~細菌学者コッホの飽くなき探究心~ シリーズ❶~❸
❶炭疽病菌の発見
コッホとパスツールの二人によって、「病気の原因は微生物である」という病原菌説が確立されたことは、人類にとって画期的な出来事でした。肉眼では見ることのできない微生物という未知なるミクロの世界を解明し、恐ろしい伝染病から人類を救ったといっても過言ではありません。
かつては、微生物が空気のない環境でも自然に発生するという「自然発生説」が信じられていましたが、フランスの細菌学者ルイ・パスツール(1822~1895)は「白鳥の首」と呼ばれた細長いフラスコを用いて実験を行い、1861年に自然発生説が誤っていることを証明しました。
さらにパスツールは、ジェンナーの考えた天然痘を予防する種痘法に「ワクチン」という名前をつけ、ワクチンが他の病気にも応用できるのではないかと考え、ワクチンを使った予防接種や様々なワクチンを開発しました。
また、19世紀の後半までには、外科手術後の傷口の腐敗による敗血症による死亡率が極めてたかかったのですが、イギリスの外科医ジョセフ・リスターが、敗血症の原因となる傷口の腐敗、すなわち化膿が細菌によって起こることに気づき、手術にあのツンとする臭いのフェノール(石炭酸)を用いて死亡率を激減させました。
このような細菌学の発達によって、徐々に細菌などの微生物が病原体となって発生する感染症克服への道は切り開かれていったのです。
しかし伝染病にかかった生体には細菌という微生物が確かに存在することが明らかにされても、その細菌が伝染病そのものの原因かどうかということについては、まだ明確ではありませんでした。その難問を見事に解決したのが、ドイツの一地方で医師をしていたローベルト・コッホ (1843~1910)でした。
コッホはウォルシュタインというドイツの田舎町の診療所で、医療に従事していましたが、その地方では羊に炭疽病(たんそびょう)という原因不明の病気が流行していて、一つの村の羊が全滅するような事態が起こっていたのです。
コッホは、のちに「炭疽病」と呼ばれるこの病変で死んだ羊の血液をネズミに接種してみました。するとそのネズミは、コッホが予想した通り、死んでしまったのです。コッホは、死んだネズミを解剖し、顕微鏡をのぞいてみると、細長い棒状の微生物がウジャウジャと蠢(うごめ)いていました。
コッホは試行錯誤で実験を繰り返すために、この微生物を増やそうと考えました。そして他の雑菌が入らないように二枚のガラスで密閉した液の中で、この病原菌を繁殖させることに成功したのです。こうして炭疽病で死んだ羊の血液中に存在する微生物を純粋培養することに成功しました。そして培養された微生物を健康なネズミに接種すると、やはりネズミは炭疽病と同じ症状を示し、死んでしまったのです。
確かにこの棒状の微生物が病原菌であるとコッホは確信していましたが、病原菌を顕微鏡で見ただけでは、発見とはいえません。そこで、コッホは何度も同じ実験をくり返し、その菌の性質や特徴、生存条件などを調べ上げていったのです。そして、その結果をプレスラウ大学のフェルディナント・コーン教授に見てもらいました。そして複数の教授の前で、実験を再現しましたが、それは彼らも驚くほど非の打ちどころのないものだったのです。
1876年、かくして、その微生物こそは炭疽病の病原菌であることが証明され「炭疽病菌」と命名されました。
コッホによる炭疽菌の発見は、世界中を驚かせ、その実験した一連の手法と共に、彼の名は世界に知れ渡ることとなったのです。今日でも通用する理論となっている実験の手法とは、すなわち、 ① 伝染病に罹患した生体には特定の病原体が存在する、 ② その病原体は生体外で分離・培養される、③その分離・培養された病原体で別の生体にその疾患を再現することができる、というものです。
コッホはこれらの業績が認められ、ベルリンの国立衛生院研究室の主任に迎えられました。それまでとは打って変わって、充実した実験器具や設備、研究費や二人の助手といった研究に没頭できる環境の中で、彼は次々と感染症の病原体を発見していったのです。
一方、フランスのパスツールは、1881年毒性を弱めた炭疽菌を作り、それを動物に注射することで病気と闘う抵抗力をその動物に付ける、いわゆる「予防ワクチン」の製造に成功しました。近代医学の幕開けは炭疽菌から始まったといっても過言ではないのです。
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