視線恐怖症から分かった感情と理性。
「喜怒哀楽こそが自分自身である」という事を感じ
視線恐怖症を治す事ができた。という体験談です。
16歳から18歳頃までの話となっております。
【1.自律神経の失調】
中学生の頃に過労や食事不足で起立性調節障害という
自律神経系の失調から、胃が殆ど動かない状態になったり
立ちくらみ等の貧血状態が続き不登校に。
全日制に通えない為、通信制高校へ進学した。
入学してすぐにあった進路相談で将来を考えた時に
「やりたい事が無い」という状況だったので
色んな事をやろうと思ったのと
体を徐々に動かしていこうという事で
週3日程度のコンビニバイトを始めた。
【2.コンビニバイト時代、視線恐怖症の始まり】
仕事を理解して実行するという点では全く問題無かったが
様々な性質の同僚との連携等、人間関係の難しさを漠然と感じていた。
そんな中で1番強く感じたのは客の理不尽さだった。
「他の系列はやってくれたぞ!」と怒鳴りつけてくる60歳程の男。
「系列毎にルールがあり、うちの系列では不可能だ」という事を説明しても
怒りを増幅させる客の思考が理解できなかった。
下等生物だと薄ら笑ってしまう自分と対極に、深々と頭を下げる店長を見て
「社会とは、こういう物だ」と教えられた気がした。
店長を見習い、頭を下げたが。
この頃から自分には「正しさ」が見えなくなってきていた。
考えた末に出た結論は
「自分はこの店で働かせて貰っている。
自分の感情で店に迷惑を掛ける訳にはいかない。
だから、理不尽な客にも頭を下げてやり過ごそう」
といった物だった。
しかし、不快な常連客の嘲笑するような態度にも
「お客さんだから」と親切丁寧に接客する自分は
自分の意思とは完全に乖離した自分だった。
いつの間にか、感情を抑えようとすると手が震えるようになっていた。
そんな中で腰痛から背骨のヒビが見つかり
それを機に辞める事にした。
【3.視線恐怖症の発症】
この頃の自分は根性論者で
肉体は壊れても精神は壊れないと信じていた。
しかしながら、手の震えは重大なサインだったようで
辞めた後から、人と目が合う事や
人に見られる事に拒否反応が出るようになった。
視線恐怖症と正視恐怖症だったのだと思う。
コンビニでは目を合わせた人に微笑めば良いが
街では当然、そんな事は求められていない。
人と目が合った時、どんな表情をすれば不快にさせないか。
そんな事ばかり考えたし
すれ違う自分を観察するような人間の思考が理解できなくて不快だった。
人と目が合うと痙攣?するように頭が震える。
周りから見たら奇妙だったかもしれない。
そんな自分も嫌だったし原因も分からなかったし
親を心配させるのも嫌だったから相談もせず
人となるべく関わらない。という事で問題を遠ざけた。
【4.感情との出会い】
当時は自分が何の為に生きているのか、分からなくなった。
「理性だけで生きるなら、自分という意思や感情は要らないのだから」
自分の感情を取り戻し始めた第一歩は
自分と近い感情を持つアイドルを見つけた事だった。
感情が近しいアイドルを見て感じる「嬉しい」「楽しい」は幸せな物で
自分は感情を少しずつ取り戻していた。
そんな矢先にその子も精神を患う(患ってた?)訳だが。
【5.「怒り」という自分】
僕は通信制高校へ通っていた。
高校1年の終わりに視線恐怖症となり
高校2年は我慢して何とか通ったが
高校3年になって
授業中に多動症が叫び、喚く環境が受け入れられなくなった。
集中したい時に奇声を聞かされる事が不快で仕方なかった。
この頃は慢性的な視線恐怖症のストレスから
自律神経的の失調が生じ、感覚が過敏になっていたと思う。
学校へ行く事に限界を感じて
平和主義的な考えをすれば辞める事しか無かったが
親や親戚の説得もあり、続ける事にしようと思った。
そんな板挟みの中で沸き上がったのは「怒り」で
「どうして授業に出なければ卒業できないのに
授業を妨害する人間が正当化されるんだ。」
といった強い感情だった。
元々、自分は理不尽が許せない性格だったし
その「怒り」は小学生時代を思い出す懐かしさを感じつつあった。
それでも、失っていた「怒り」という感情を人にぶつけるのは苦手で
母親と一緒に学校の先生へ相談しに行った時も
最初はやんわりと伝えた。
それでも軽く捉えて問題視しない先生に限界を感じ
目を全く合わせずに言葉で怒りをぶつけた。
その怒りを受け止めて解決策を出してくれた先生のお陰もあって
無事に卒業する事ができた。
卒業後に思ったのは
「感情的にならず、怒りを意思として表に出す」
そんな、自分の殻を破ったような。
苦手を克服した事が自分を卒業へ導いた。という事で
嬉しさに近い感覚があった。
因みに、授業中の奇声が嫌だったというだけで
通信制高校へ通う人達は案外良い人が多かったと思っている。
【6.精神疾患の終焉】
感情の近しいアイドルとの出会い。
通信制高校という異世界との対立と解決から
「自分」という物が見えてきた。
そしてそれは1つの結論を出した。
喜怒哀楽こそが自分自身なのだ。
そしてこれは、喜怒哀楽という「感情」と
七つの大罪のような「欲望」は異なる物である。という
自分の哲学的な答えを探求する人生の始まりでもあった。
【7.視線恐怖症の根本的な原因】
僕は世界中の人が幸せになったら良いのに。と思いながら
結構な人嫌いだった。
元々、小学生の頃から常識を疑う異端児で
理解できない人間と関わるのが嫌いだった。
コンビニバイトを始めた頃は
そんな自分を変えたいと思ったけど
視線恐怖症を発症してから
街中で人と目が合ったり
視線を向けられて感じたのは「不快感」で
その「感覚」という感情的要素は
どれだけ頑張っても変えられなかった。
「感情は変えられない、という中で感情を捻じ曲げようとした」
それが原因だった。
昔は、嫌な顔をしたら相手が傷付くんじゃないかと考えたけど
今は素直に不快感を顔に出すようにしてる。笑
そうすると視線恐怖症の頃にあったような苦しさを感じなくなった。
【8.正視恐怖症について】
人と目を合わせない事で回避できたし軽度な症状だったけど
こっちは意外と長引いた。
原因は、僕が人の心理を読み取るのが得意で
人と向き合って目を合わせると
心理を読まれてるような気がして不快だった事。
社会に出て沢山の人と関わると
心理を読める人は少ない事が分かって
それからはだいぶ良くなった。
症状についての質問等があれば答えますので
お気軽にどうぞ。
【最後に】
「イン・ザ・プール」奥田 英朗 著
この小説で出てくる精神科医は
患者から「子供のようだ」と見下されながら
患者の感情を引き出して
理性や思い込みに縛られた状態「精神疾患」から救い出す。
その過程から読み解けるのは
やはり、喜怒哀楽こそが自分自身である。という事。
であれば、「理性」とは何か。
教育や尊敬、信仰から培った「思い込み」なのかもしれない。
その理性が感情を抑制する「我慢」を美徳として
感情と欲望の区別を曖昧にしたまま常識化している。
IT化が進む現代で、改めて初心に立ち返り
人間の精神について再認識する事が必要だと思う。
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