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たとえこの声が届かなくても
私はこのnoteでもX(旧Twitter)でもなるべくネガティブな発信をしないように心がけているのですが、現在もなお区役所のいくつかの扶助を受けながら精神科医へ通うれっきとした病人です。
実際仕事のある日や友人と出かける用事があるとき以外はほぼ寝ている状態が続いており、こんなに時間があるのだからイラストを描きたいと思ってるのにまったく手を付けられていないというのが現状です。
(その仕事というのはだいぶセーブしているので出勤数はそんなに多くないです。それを許してくれる職場に巡り会えてよかった……)
正確には昨年に、抱えてた借金を返済し終えてからそのことには触れないと宣言しただけで、別にお金に余裕があるわけでも病気が寛解したわけでもありません。
本来は鬱を発散する目的としてこのnoteを始めているので
過去の記事を漁ればそういった記事がごまんと出てきますが。
なぜこんな話をしたのかと申しますと、ついさっき友人が人知れず悩み病み
休職していたという呟きをSNSで目撃したからです。
すぐさまLINEを送って返信が返ってきたので安心しているところですが
こういうとき、友人としてなにをすれば正解なのだろうと
実際心配する側に立ってみるとなかなか悩ましいものだなと思った次第です。
私が心を病んだのを知った時、貴方はどういう気持ちだったのだろう。
もしかしてあの時、無理やり「オレがチケット代出すから」と言ってライブに連れ出してくれたのは助けてくれようとしていたのでしょうか。
普段そんな素振りなんてしない人だから、その優しさに甘えるのはちょっと勇気がいったけど。
別の友人も、このnoteに辿り着いてくれて食べ物を渡してくれたこともありました。「困ったらうち来なよ」と言ってくれたこともありました。
この前会った時も「ほんとに大丈夫?」と気にかけてくれていました。
聞いてないけど、展示会とかに誘ってくれてる別の友人も
もしかしてそんな気持ちがあって連れ出してくれてたりするんでしょうか。
こういうとき、「助けて」と声を上げる気力すらないことがほとんどだと思います。
私の場合はですが、そんな友人がいると思うこと自体が生きていていい理由になるというか、確かにこうして病んではいますが、幸い死にたいと思うようなことはこれまで微塵もなかったです。
諦めが悪いんですよね。
まだ復活できる自分を信じているというか。
このままで終わるわけにはいかないだろ?
いつかちゃんと回復して、また創作活動できるだろ?って。
私がいなくても、誰も困らないだろうということは、ずいぶん前から知ってています。
逆説的に、だからこそ私が居ても何も変わらないでしょ?
それなら好きにやらせてもらいますわ、という精神です。
社会貢献なんてこれっぽっちも考えていません。
私は私がやりたいことだけをしますし私が聴きたい音楽だけを聴きます。
元来は私はそういう意味ではポジティブだったんですけどね。
自分が鬱になるとは思ってもみませんでした。
それだけ前職の環境が劣悪だったってことでしょうけど。
もう二度と芸能になんて関わりたくないですよ。笑
お互い、音楽が好きでそれで繋がった絆なので
音楽が聴けなくなったというのはかなり重症だと思います。
私も一時期音楽が聴けなくなりましたし読書もできませんでした。
そう考えると今はだいぶ寛解に向かってるとは思います。
あとはやる気だけ。何もする気が起きなくて寝るしかできない何もない日の過ごし方が、変わってくれると信じながら過ごす日々です。
仕事中は考えられるんですけどね。
帰ったらあれをしよう。明日はこれをしよう。
でも実際家に帰ると何もやる気が起きない。
環境を変えればいいとは言われているけれど、
引っ越しをするのにもかなりの気力が必要になる。
心なしか外界よりもちょっと空気の薄い自室で時間が流れるのをただ眺めているばかり。
寝て、寝て、そしていつか寝飽きたら、
私は前を向くことができるのでしょうか。
タバコでくすんだ天井に問いかけても何も答えてはくれません。
これが病んでいるからこその思考なのか判別がつかないのですが
こういうとき私は極力ヒトとは関わりたくないんですよね。
遊びに連れ出してくれている友人がいるのが生きがい、と言う割には
相反する感情です。
だから、リアルでもSNSでも、私から話しかけることはあまりありません。
来たものには必ず返しますが、自分から始めることはしないです。
今回も、Twitterで見かけたので
LINEを送るかどうか僅かな逡巡があったことを告白します。
私なんて今声かけて逆に迷惑にならないだろうか。
話しかけるということは返信するという返礼が発生してしまい
わざわざ手を煩わせてしまうのではないか。
自己評価が限りなく低いので、私の声なんて誰かにとって影響のあるものだとは到底思えないんですよね。
でも、伝えたかった。
貴方が苦しんでいるのを見て、私は黙っていられなかったのだと。
もし貴方が望むなら、いや望まなくても、
手を差し伸べていたいという私の確固たる意志なんだ。
自己満足だと思われてもかまわない。
私が何をしても世界に何も影響を及ぼさないなら
こうすることも私の勝手でしょ。的な。
精神を蝕むストレス社会となって久しい昨今の世情。
こうして心を疲弊してしまう人が後を絶たない現状。
私も現在進行形だからこそ、「君だけじゃないよ」と言える資格があると思っています。
僕には何ができるだろう?
君のために唄う事…こんな僕を笑うかい?
貴方、だけじゃない。
誰でもない、悩める人に。
そして自分にも言い聞かせるように。
ありふれた言葉だけど、「君は一人じゃない」。
君を想う人が必ずいること。それだけは忘れずにいたいよね。
Afterword
途中まで書き留めていた記事を大幅に変更いたしましてお送りしました。
借金を返済したばかりでそれほど余裕があるわけではありませんが
生活費を切り詰めてまだ何とかこうして生きています。
必ず見返してやるから覚悟しろよ未来。
今はまだ床にへばりついてて離れないけど、絶対立ち上がってやる。
私の声はか細くて、今にも消えてしまいそうな音量しかありません。
それでもこうして生きているんだと叫んでいること。
その声が誰にも届かないんだとしても、私はこうして叫び続けます。
もしその声に気付いてくれる人がいたら、どんなに幸せでしょうね。
生きていていいよ、と諭された気持ちになるはずです。
反応がなくたっていい。こうして生きている。
それだけでどんなに尊いことか。
あんまり悩みすぎずに、誰もが豊かな心を持ち合えれば――
そんな世界が訪れるといいですね。
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