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読書の思い出

以前も少し書いたように、子供時代からいわゆる文字ばかりが並んだ本が家にあるような家庭環境ではなかった。
こう書きながら記憶をたぐってみると、僕の子供時代うちにあった本といえば母親のレディースコミックと父親が出稼ぎ先からの移動のときに駅のキオスクなどで買ったらしい下世話な週刊誌ぐらいのもので、多少字が読めるようになって自分で漫画を集めるようになるまで絵本すらほとんどないような、とても文化的とはいえない家庭だった。

そんな僕がはじめて文字が多い本に出会ったのは小学校の国語の教科書だ。
普通の公立小学校だったから特別な何かがあったわけではないが、文字と挿絵だけで構成された教科書は新鮮で、一人で留守番をしているときにも絵を描くのに飽きると教科書に書いてある文章を読んだりしていた。

どんな内容の物語があったかさすがにほとんど覚えていないが、ひとつだけ今でも覚えているものがある。それが『おじさんのかさ』だ。

本来は絵本らしいが教科書に載っていて、作中に出てくる「雨がふったらポンポロロン 雨がふったらピッチャンチャン」というフレーズが忘れられない作品だ。確か低学年の頃、授業で音読した記憶があって、耳の奥で当時のクラスメイトの声が子供特有の跳ねるような抑揚で聴こえてくるような感覚がある。

「雨がふったらポンポロロン 雨がふったらピッチャンチャン」

この楽し気な音のフレーズはずっと自分の中に残っていて、今でも傘をさしているときに不意に頭に浮かぶことがある。そうすると少しだけ憂鬱な気持ちが晴れるような気がするのだ。

小学校に上がって学校には図書室というものがあることを知ったが、田舎の公立小学校且つ僕の周りも同じような家に本がない家庭の子供が多かったからか「図書室なんか行くやつはだせーやつ」というような感覚があって、周りに流されやすい性格だった僕は図書室に立ち寄ることなどほとんどなかった。
それよりもJリーグ開幕の頃だったから校庭でサッカーをすることや『炎の闘球児 ドッジ弾平』が流行っていたのでドッジボールをすることに勤しんでいた記憶がある。

そうして中学・高校と図書室や図書館とは無縁のまま過ごしてきた僕が地元の図書館に通うようになったのは高校を辞めてからのことだ。
悪友の家で知り合った六つ年上の先輩の家に居候していたとき、昼間あまりにもすることがないうえにお金がないから行き場もなくて、逃げ込むように図書館に行くようになった。
その頃には多少本を読むようになっていたから、興味の赴くまま小説や伝記ものを読んだ。給水機はあるし本はいくら読んでも無料で雨風もしのげるので当時の僕にとっては天国のようだった。蔵書は古くてぼろぼろだったが、そこから吸収した言葉も僕を構成する一部になっている。

引っ越しをしても本屋で新刊を買う傍ら区役所に併設された図書館に通ってお試ししたいような作家の本や買うには勇気が出ない高めの本を借りて読むようになった。


そして今もわりと頻繁に図書館を利用している。もちろんどうしても欲しい本は新刊書店で購入するが、そこまでに至らないものは図書館で借りて済ます。以前誰かが「図書館は貧乏人のためのもの」と言っていたが当たっているし上等だとも思っている。
実は本を読みたいという欲望のほとんどは図書館と古本屋で事足りるのだ。それでも本屋さんが好きだから本屋に通う、新刊も買う。活字のない家庭で生まれ育ったが、いつの間にか活字がなければ落ち着かない体になっていた。

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