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32:刻まれたリズムで

5歳。
私の通った幼稚園には、鼓笛隊があった。
笛と太鼓を中心に編成された、行進する演奏隊である。

余談だが、鼓笛隊の起源は中世ヨーロッパらしい。
15世紀末にスイス傭兵によって、軍の行進に使われるようになったのだとか。
マーチングバンドと呼ばれることもあるが、その歩みは厳密には異なる。

***

幼稚園の近くの公園は遊具が置かれておらず、日曜の朝には、ソフトボールの練習などに使われる場所になっていた。
全面が平坦で、グラウンドの役割を担っており、日中は園児たちの運動場として使われることもあった。

マーチングの練習は、いつもその公園で行われていた。
私の担当は、なぜか大太鼓。体力自慢でもないのに。

調べてみると、マーチングバスドラムと呼ばれるものらしい。
肩に掛ける胸当てのような器具にドラムの側面を取りつけ、左右両面を打って演奏する。
バチの先端には、白いクッション材がついていて、これで叩くことでこもった音が出る。

重さを肩に受けながら演奏をし、隊列を組んで、決められたように歩く。
年齢に合わせた楽器のサイズとはいえ、園児にとって、なかなかの重労働である。
ほかのパートは知らないが、この肩に掛ける器具が、結構な重さで肩に食いこんで痛かったことを覚えている。
現在はもっと快適な器具ができているのかもしれないが、当時は金属製で重く、硬く、冷たい。
肩に当たる部分にはクッション材の役割でスポンジのようなものが貼りつけてあったが、両面テープが剥がれているところなどもあって、触るとベタベタするのも嫌だった。

まして、私は集団でなにかするのが苦手だ。
そもそも大勢の人がいるところが好きではないのに加えて、お遊戯など、このころすでに嫌な催しのひとつだった。
幼稚園でやった鼓笛隊がキッカケで音楽好きになったという人もいるのだろうか。
いまは音楽好きだが、私にとっては嫌いになってもおかしくはない催しだった。

***

さて、練習ではパートごとに、リズムを教えこまれる。
覚えの良し悪しはあれど、言われた通りに実行できるかどうかはまた別問題。
やりたいわけでもない鼓笛隊、やりたいわけでもないパートを、なぜこんなに熱心に取り組むよう、指導、強要されているのか、わからなくなる。
特に注意力散漫な子もいただろう。園児たちの演奏はそうそう揃わない。

ときには一旦その場で体育座りをさせられ、あまりにできていないパートの練習を見学することもあった。
特に見学する回数が多かったのは、小ぶりなドラムが3個ほどセットで並んだ楽器のパートだろう。
このドラムは、マーチングマルチタムと呼ばれるようだ。
ほかのドラムパートは1個のドラムを演奏するが、並んだ複数のドラムを使い分けるこのパートは、やはりより難しいのだろう。

担当に教えこむために、先生が口でリズムを言う。
叩く位置ごとに「ドタ」「パタ」「ドン」と、呼称していた。
「ドタパタドン、ドタパタドン。ドン、ドン、ドタパタドン」
これが、繰り返される。口頭で言い続ける先生も大変だ。

***

練習では、体操服を着て楽器を持つ。
それならばまだよかったのだが、幼稚園の運動会などでお披露目となると、衣装があった。

衣装は極めて軽量で、向こうが透けて見える薄さだった。
黄緑を主として、銀色のラインが縁を飾る。
板前が被るような形状の、折り畳める白い帽子もあり、これも薄い。
カッコ悪い、という印象しかなかったが、妖精の羽衣のような衣装テーマだったのだろうか。
思い返すと、あれは不織布で作られたものだったのかもしれない。
「高級仕出し弁当を包む風呂敷」のような衣装で身を包み、観衆の前に出て行かされるとは、いま思えばただの罰ゲームである。

先頭で指揮棒を持って歩く役割にはW君。
どんな仕事でも、そのポジションの大変さというのは、やってみなければわからない。
だが当時の私は、それを想像することは横に置いて、結局あれが一番楽じゃないか、と思っていた。
指揮棒を振りながら全体を先導するため、実際には責任重大なポジションではあるのだが、軽装であることは確かだ。
後続の、園児による演奏隊が、彼の指揮棒の動きをしっかり見ているわけでもないだろう。
本番では白と赤の軍服のような衣装と、羽飾りのついた帽子を身に着ける。
行進の要所で「ピーーッ、ピッピッピ!」と笛を吹く。
卒園アルバムにも、彼単体で直立した全身の写真が載っていたと思う。
要するに、花形のあつかいである。
私はそもそも、催しすべてが嫌だったが、花形を妬む人もいたのではなかろうか。

***

幼稚園を卒園する時期の少し前に、大きめの立派な橋が開通した。
開通記念イベントがあり、どういう経緯だかは知らないが、できたばかりの橋を鼓笛隊が演奏しながら渡る、という催しがあった。
あまりお金のかからないパレードのようなものだ。
私はやはり催しが嫌だったが、いい思い出にはなったと思う。

あの橋のガードレールにはいま、サビが浮いている。
園児の足で時間をかけて歩いた橋を、高校では自転車で行き来し、いまは車で走り抜ける。
実家を離れて、通る機会は減った。
それでもあの橋を通ると、流れた歳月がサビのように浮かびあがってくる。

***

あのころ繰り返されたリズムは、いまも覚えている。
しかも自分のパートではなく、嫌になるほど聞かされたマーチングマルチタムのパートである。
繰り返し、繰り返し、聞かされた言葉。
同じ幼稚園に通っていた友人Kとはいまも交流があるが、彼もやはり教えこまれたリズムを覚えているらしい。

スポンジが水を吸うように、なんでも覚えられる時期のはずだ。

「ドタパタドン、ドタパタドン。ドン、ドン、ドタパタドン」
「ドタパタドン、ドタパタドン。ドン、ドン、ドタパタドン」
「ドタパタドン、ドタパタドン。ドン、ドン、ドタパタドン」

ほかに覚えるべきことがあったのではないか。
記憶に刻まれたリズムを思い出すたび、そんな気がしてならない。


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