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31:満ちた代わりに
5歳。
幼稚園に通い出した私は、比較的物静かな部類の子と、どうにか少しずつ遊ぶようになる。
遊びも大抵は大人しいものだ。
とはいえ、人見知り×引っこみ思案という、いまでいうところのHSP気質を入園当初から炸裂させていた私にとって、それは大きなことだった。
5月ごろ、一人の少年を家に招くことになった。
幼稚園から見ると、私の家とは反対側のほうに住んでいた子だ。
滅多に足を伸ばすことはなかったが、そちらのほうに歩いていくと、車のスクラップ置き場のような土地があったことを覚えている。
のちに知ったことだが、どうやら彼はなかなかに裕福な家庭の子だったらしい。
いわば『ドラえもん』の「スネ夫」のようなものだろうか。
***
そんなスネ夫(仮名)が持ってきた玩具は、真新しいプラモデルだった。
『SDガンダム』と呼ばれる、ガンダムを二頭身くらいにデフォルメしたシリーズのプラモデル。
あれは、おそらく初期の作品のものだっただろう。
俗に「ファーストガンダム」と呼ばれる、アニメ第1作目の白いガンダム。
だったと思う。
私は当時、ガンダムを観ていなかったので、正誤の判断はできない。
隣家に住んでいた従兄の部屋で一度だけ見た、デフォルメされていないリアルな頭身のガンダムよりも、私にはSDガンダムのほうが親しみをもてた。
ドラえもんのような、丸っこさが好みだったのかもしれない。
そのころの私は、ガンダムのプラモデルをひとつも持っていなかったこともあり、「スネ夫」が当然のように持っているものを、まさしく「のび太」の如く、羨ましく思っていた。
そもそもどこで買うものなのかも、当時の私は知らなかった。
残念ながら、私の部屋には「ドラえもん」もいない。
ある日、彼はそのSDガンダムを、遊びに来る途中の公園に箱ごと置いてきてしまった。
組みあげたものを、販売パッケージの箱に入れて持ち歩いていたのだ。
「あとで取りに行けばいい」
その日の彼はずっとそんな姿勢で、さて帰りに公園のところまで行ってみる。
公園は、幼稚園と私の家の間にあるので、そこまで見送りがてら私も一緒に行った。
そして案の定、そこにはもうなかった。
すでに大人気だったはずなので、誰かが喜んで持っていったのだろう。
私は、なんと声をかけていいのかわからずいたのだが、彼は別段、気にした様子でもなかった。
泣くでもなく、怒るでもなく。悔いるでもなく。
探しまわることもなく、軽く周囲を見渡すと「じゃあ」とだけ言って、スネ夫(仮名)は帰っていった。
その日遊びながら、無事にそこにあるよう祈るような気持ちでいたのは、私だけだったのか。
私にとっては羨ましくて欲しいものだったのに、彼はそれを失ってもなんとも思っていないようだった。
また買ってもらえばいい、ということだったのだろうか。
たとえ既製品で同じ商品でも、手にするまでの経緯などがあって、買い直したそれは「同じもの」ではない。
そう感じる私とは、根本的に違っていたのかもしれない。
私が、物持ちがよく、幼少の品を処分できないのは、そこにある経緯にも愛着をもっているからだ。
***
もうひとつ、よく覚えている出来事に「おやつ」がある。
家に誰かが遊びに来たときには、母がいくつかのお菓子を盛って出してくれた。
思えば、とても贅沢なことだ。あらためて感謝を伝えたい。
手作りのお菓子を出してくれることもよくあった。
ある日、家に遊びに来ていたスネ夫(仮名)は、盛られたお菓子のなかに、あるものを見つける。
その名は『キャラメルコーン』。
彼はそれを見るなり「またこれか」と言った。
一時期に続けて遊びに来ていたため、それは前回と同じお菓子だったのだ。
その言葉を聞いた母は「嫌なら食べなくていい」と返したのだが、彼は本当に最後まで手をつけなかった。
よその家で出してもらったものに対し、見た瞬間、文句や不満を言う。
それも、出してくれた人に平然と言う。
そして本当に食べない。
正直、私にはその感覚がまったくなかったので、かなり驚いた。
というか、同じお菓子が続こうが、私にとっては不満に思うようなことではない。
その日も、私は出てきたお菓子を見た段階で、気づきもしなかった。
瞬間的にそういう言葉が出てくるあたり、実際、彼はきっとかなり裕福だったのだろう。
よその子供が体験し得ないことも、日頃からさまざまに与えられていたのかもしれない。
出てくるお菓子は毎日すべて違うもの、ということも含め。
それゆえに、彼のなかでの常識や基準は、きっと少し違っていたのだ。
けれども、それらが当時の彼にもたらしていたものは、多くの経験や、物質的な豊かさといったプラスばかりではなかった。
提供されたものに、瞬間的に文句を言う。
それは、単純に「無礼」であったことは間違いない。
***
礼を失するというのは、信用を失うことと同義だと思う。
たとえばそれが子供同士であっても、私はなんでも「子供だから」で済ませるのは好きではないし、自分が子供のときも、その気持ちが少なからずどこかにあった。
もちろん「子供だから」と、私が知らぬ間に周囲に許されていたこともあっただろうけれど、少なくともそれを自分から盾や隠れ蓑にしたことはない。
あのとき母になにか言われたわけではないが、スネ夫(仮名)とはそれ以降、自然と離れていった。
あるいは、私が彼に飽きられたのかもしれないが。
それならそれでよかったのだ、とも思う。
冷めた心は、いつか無自覚に私を斬りつけただろう。
そうなっていたら、思い出の五月の色も、いまとは違っていたに違いない。
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