追悼・西田敏行さん・2 24.11.30
だが、さすがに僕もまだ当時小学校高学年。
『西遊記』以外の大人向けドラマを目にすることはなかった。『玄太』を観るにもまだ子供すぎ。
したがって、大河はもちろん、シリアス路線の『特捜最前線』もまったく観ていないため、その人の「お笑い寄り」イメージが長く続いた。
『玄太』以外で、記憶にある最初の主演ドラマは、1980年『サンキュー先生』だったか。
これも、児童向け寄りのドラマで、「小学生版金八先生」などと言われていたようだ。
自分も当時小学生だったことと、その人の常にランニングシャツ・短パン(冬でも!)という露出度の高い服装に釘付けになっていた?? ような……。
少し話は逸れるが、1983年の『明石貫平35才』というドラマで、自身が歌う主題歌「二番目に云いたいこと」では、その人は作詞にも挑戦している。
あの大ヒット曲『もしもピアノが弾けたなら』と作曲者が同じなのだが、ドラマティックなメロディーに乗せて、ひたすらに
水虫がかゆい
と言い続ける珍歌詞……。
僕は当時から、この作曲者(朝ドラ『おしん』も担当)のファンだったのだが、メロディーとのあまりのギャップに
ハテ?
と首を傾げてしまった。(笑)
その人はけっして一般的な意味でハンサムとは言い難い。体型も、まぁ……。
ただ、そこがモーレツに好きな層もいるだろうが。
それはそれとして。
二枚目ではなくとも、愛嬌溢れる顔立ちと底抜けの明るさ・ユーモア・サービス精神で、いつしかその人は、テレビ・映画・CMに引っ張りだこになっていた。
(つづく?)
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