わたしの映画日記(2022年5月7日〜5月13日)
5/7
『ル・ミリオン』 ルネ・クレール 1931年 フランス(U-NEXT)
女癖が悪く借金まみれの画家の男が宝くじに当選する。ツケ払いの取り立てに来ていた人々は、手のひらを返したかのように祝福ムードで彼を迎える。くじを上着のポケットに入れたことを思い出した男は、向かいに住むガールフレンドの部屋に向かう。しかし上着が見当たらない。聞けば”チューリップおやじ”と呼ばれる謎の男に譲ったとか。ここから上着を追ったドタバタ喜劇が始まる。
楽しいミュージカルの形式を取りながら、人間の貪欲さや醜さをも描いている。一番驚いたのは最後の大団円からさかのぼる語り口。宝くじは必ず男の手に戻ってくることが確証されているからこそ、安心して途中のドタバタを見ていられる。90年前の作品にも関わらず全く古さを感じなかった。
5/9
『The Law of the Border』 Lütfi Ömer Akad 1966年 トルコ(MUBI)
舞台はトルコ南東部のシリアとの国境地帯。生活資源が乏しいため、多くの村人が生活のために羊の密輸に手を染める。それを好ましく思わない軍人たちは地域一帯に監視の目を光らせている。
主人公は密輸業者の男。監視の目をかいくぐり羊の群れに国境を超えさせるエキスパートだ。しかし司令官の座についたばかりの中尉や、利益至上主義の地主の妨害により稼業は縮小の一途をたどる。
中尉は取り締まりを厳しくする一方で、村に新たな学校を設立しようとする。教育レベルが上がれば密輸以外の職業も選べると考えたのだ。最初は乗り気ではなかった主人公の男も、美しい女性教師の説得により息子を学校に通わせることを決断。自身も密輸業から足を洗い、痩せた土地で農業に取り組み始める。
中盤までは貧しい農民(馬を乗りこなす荒野のならず者)が新たな人生を選ぶ物語なのかな?と予想していたが、後半にかけて怒涛の西部劇が続く。
地主の罠にかけられて国境地帯で地雷原を進むことになったり、奇襲で仲間を失ったり、それに対する報復としての銃撃戦。密輸業者・地主・軍隊の三つ巴の闘いからの最後の涙の別れ。ドラマチックな展開がこれでもかと続く。
マーティン・スコセッシ映画財団の支援により2013年にレストアされた本作。フィルムの損傷が激しい箇所も多々あるが、復元するだけの価値がある素晴らしい西部劇だった。もっと手軽により多くの人に観てもらいたい。
5/10
『About Love』 Archana Phadke 2019年 インド(MUBI)
ムンバイ在住の女性映像作家が自分の家族にカメラを向ける。パードケ一家は結婚して68年になる祖父母、結婚して32年になる両親、一男二女で構成される。監督自らハンディカメラで映し出す家族の姿はホームビデオそのもの。しかし次第に浮かび上がってくる根深い男尊女卑の価値観に辟易とさせられる。そして監督自身は「私は結婚しない」と宣言する。
祖父は祖母におつかいを頼んで返ってきたお金が足りないと責め立てる。父は母に会社関係の書類のファイリングがおかしいと責め立てる。どちらも男性が一方的に自分の意見をまくし立て、全く女性の言葉に耳を傾けようとしない。
嵐のような夫婦の口論が終わると、母はリビングでひとり静かに涙を流す。そして「家に誰もいない15分、目をつぶって過ごすのが至福のひとときなの」と語る。この家で過ごしてきた32年の苦労を考えると胸が締め付けられるシーンだ。
後半では祖父の死去と弟の結婚により、夫婦の終わりと始まりが対比される。果たして若い世代はどんな夫婦になっていくのか。インド特有の環境も往々にしてあるのだろうが、それ以上に普遍的な男女の問題(というか男の問題)を突きつけてくる映画だった。
5/11
『FOUJITA』 小栗泰平 2015年 日本・フランス合作(U-NEXT)
フランスで画家として成功を収めパリでデカダンな暮らし送る藤田嗣治。友人たちとの浮かれ騒ぎ、妻との軋轢、愛人との蜜月の日々を経て舞台は大東亜戦争真っ只中の日本へ。華やかなパリとは対照的な陰鬱な空気のコントラストが鮮烈。
ドラマチックな展開は少ないがオダギリジョーの熱演が光る。フランス語のセリフが大部分を占めるパリ時代もさることながら、帰国後に戦争に絡め取られる姿も印象的だった。今の日本を”戦後”ではなく”戦前”と捉えるなら他人事とは思えない。
『C'mon C'mon』 マイク・ミルズ 2021年 アメリカ(ユナイテッド・シネマ金沢にて上映)
音声メディアを手掛ける中年男が主人公。妹の夫が単身赴任先で精神疾患を患ったことをきっかけに9歳の甥っ子を預かることになる。当初は甥っ子の暮らす家で面倒をみる予定だったが、ひょんなことから自分の生活の拠点であるニューヨークに連れていくことに。奇妙な共同生活は順調な滑り出しだったが、ちょっとしたコミュニケーションの齟齬が原因で二人の関係は危機に陥る。妹から子供との付き合い方を学び、悪戦苦闘しながら信頼と友情を構築する。特にタイトルの意味がわかる瞬間が美しかった。
ドラマ部分はフィクションでありながら、ホアキン・フェニックス演じる主人公がアメリカ各地の子供たちにマイクを向けるシーンにはノンフィクション要素も含まれる。子供たちが語る社会や将来についての思いは、大人が聞いて恥ずかしくなるほど聡明なものだった。
伯父と甥の友情を描きながらも、母親が産む性であるだけで背負わされる役割や犠牲も浮かび上がってくる。様々な困難に直面しながらも、ひとりの人間として子供を尊重する。自分の育ってきた環境とは真逆なだけに色々と考えさせられる作品だった。
5/13
『シン・ウルトラマン』 樋口真嗣 2022年 日本(金沢コロナシネマワールドにて上映)
日本に立て続けに襲来する「禍威獣」と名付けられたモンスターに禍威獣特設対策室のメンバーが立ち向かう。ある日、手強い禍威獣を前に、謎の巨人が現れ最悪の事態を回避する。「ウルトラマン」と名付けられた巨人は当初人類の救世主と思われていたのだが。次々とやってくる外星人の来訪によりウルトラマンへの疑念が生まれる。日本政府だけでなく国際社会を巻き込んだ大騒動が巻き起こる。近視眼的な人間たちとは対照的に、外星人は人類の存続に関わる不穏な企みを画策する。そこにウルトラマンが絡むことで物語は宇宙的スケールに広がっていく。
ウルトラマンの自己犠牲と無私の愛、愚かな人間が自らとある技術を手にしようとするくだり、絶望と希望が人間の心にもたらす影響。旧約聖書や新約聖書の様々な記述を連想させる。そういう意味では世界に通用するメッセージ性を内包している。
オリジナルへのリスペクトやオマージュも満載で、リテラシーのある観客ならいくらでも楽しめるだろう。過度に説明的なセリフも恐らく意味がある。すべてに何かしらの意味・意図があるのだろうが、多くの批判の声が上がっているセクハラ描写は看過できない。百歩譲って制作者たちに何らかの意図があるとしても、一体誰がこれを面白いと思うのだろうか。2時間の映画で一度ならず何度も繰り返される”例のシーン”に辟易させられた。とにかく残念。そして俳優が不憫でならない。
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