「ツインレイと出会えたおかげ」になってしまうのが悔しかった。自分らしさがスピリチュアルだったを思い出し、感覚を思考に落とし込む。
ツインレイに関するブログを書いていくことを考えた時、『嫌だな~』と思ったことがある。
自分の感覚を表現して…、スピリチュアル感のあるブログを書くことを想像した時、『嫌だな~』と思ったことがある。
それは、「今までのわたし」「わたしの基盤」「わたしの現実的な感覚」が消えてしまうこと…なかったことにされてしまうことだった。
今までの自分が、自分自身と必死に向き合って生きてきた自分が、自分なりに大切なモノを探究し続けてきた過去の私が…、
ぜんぶ「ツインレイと出会えたおかげ」という、ただのラッキーにされてしまいそうで、嫌だった。
少なくとも、わたしの場合は「ツインレイと出会ったことでスピリチュアル能力が開花した」とは違う気がしてる。
スピリチュアル能力が開花したのではなく、
現実的に今を生きてる中にスピリチュアルがあったのだと、感覚的だったものを思考に落とし込んで「揺るがない自分」を目指していく感じだったと思う。
ツインとの出会いでスピリチュアル能力の開花?私は感覚を思考に落とし込んでいったのにな…って。
ツインレイに出会ったことをきっかけに、スピリチュアルに興味を持つ人もいるらしい。スピリチュアル能力が開花していく人もいるらしい。
…それに関して否定するつもりは、全くない。
というよりも、私にとっても『こんな人には出会ったことがない』という衝撃的な人だったし、彼を通じて自分自身と向き合うことになった。
不思議なこともたくさんあったと思う。
今までずっと『嫌だ』『隠してたい』『表現したくない』と思ってたモノに向き合って、より自分らしく生きなきゃいけないようなフェーズがやってきたわけで…。
『こんな流れが来るんだな』って思うようなこともあった。
自分の内側の世界も、外側の世界も…、いろんなものが変わっていくのを感じた。
言葉で簡単に説明はしにくいんだけど…、とにかく、ツインレイに出会ったことをきっかけに、スピリチュアルなことに興味を持つ人がいることも、スピリチュアル能力が開花する人がいることも、納得できる。
むしろ、普通に現実的に生きてきた人が、急にそんな存在に出会うことになったのだとしたら…、こんな体験をすることになったのだとしたら…。
そのまま現実を生き続けることの方が難しいのかもしれないとも思う。
だからね、「ツインレイに出会ったことをきっかけに、スピリチュアルに興味を持ったり、スピリチュアル能力が開花していく人いるんだよ」って言われたら、『そりゃ、そうだよな~』って思うの。
なんだけどさ、わたしはそういうタイプじゃなかった。
彼と出会ったことで、今までの人生の振り返りをして、今まで感覚的に信じてやってきたことを、思考に落とし込んでいく感じ。
自分の良さを受け入れて、自分らしさを活かしていけるようになっていく感じ。
それは、「スピリチュアルな人になる」というよりも、「現実的な人になる」「感覚を現実・思考的に落とし込んでいく」ということだったんだと思う。
彼と出会う6~7年前、わたしは自分の感情・感覚・自分らしさを抑え込んだ。
彼に出会う直前の私は、スピリチュアルとか、感覚的なものを受け入れてもらえない環境に身を置いていて。
自分の感覚を抑え込んで、ひっそりと生きてたんだと思う。
だから、苦しかった…
だけど、私は彼と会う6~7年前までは、自分の感覚を大切にして、自由に生きてた。
スピリチュアルなものにも興味を持って、いろいろ試したり考えたりしてた時期もあったし…。
お客様にヒーリングしたり、スピリチュアルな話をしたりもしてた。
あとは、『あれやってみたいな~』『あの人に会いたいな~』みたいなのもいろいろ集まってきてね…。
すごく不思議な世界を生きてたと思う。
ただ、
当時は、そういう私の生き方・考え方を否定する人(嫉妬・妬み的なもの?)と付き合ったことで、いろいろと変わってしまった。
愛する人に、自分の感覚や考え方を「こわい」と言われてしまうのは、恐かった。
一回り以上も年上の人に、「大人はこういうものだ」と言われて、「君は間違ってる」「大人じゃない」「それは君に問題があるからだ」と言われ続けて…。
『結局、人は変わることができないんだ』ってあら捜しされて…。
物事のネガティブな側面・現実的なものの考え方をたくさん教えられて…、いつの間にか私の人生は激変してしまった。
私は、ポジティブなものの見方を忘れてしまって、世界中が敵だらけのように感じるようになってしまった。
いつのまにか、ネガティブで苦しい現実ばかり引き寄せるようになってた。
あの頃のような、人や世界を信じる気持ち、あたたかい気持ち、幸せの感覚を忘れてしまった。
…じゃぁ、その人が悪かったのかというと、それは違うと思ってる。
その時期には、他にもそういう人たちが増えていったし、当時はすごく苦しくて、恨むような気持も生まれてしまった。
だけど今は、彼らが悪かったわけじゃないって、ちゃんとわかってるの。
自分が、自分の人生を楽しめていない時。
一生懸命頑張っても、報われないことが多い時。
…そういう時って、人の幸せを心から喜べないこともあるでしょう?
毎日楽しそうで、ラッキーなことがたくさん起こって、幸せそうに生きてる人がそばにいたら…、嫉妬や妬みのような感情が生まれてしまうことだってあると思う。
それにさ、自分が「これが常識なんだ」みたいな考えに縛られてる時って、それ以外の考え方を受け入れることができなかったりもするし。
違う考え方をしてる人とか、自分らしく生きてる人にモヤモヤしてしまったりする。
自分の考えを押し付けてしまうこともあるんだと思う。
…まぁ、それは全部、彼ら自身の問題なんだけどね。
でも、彼らと会って、自分の人生が激変した後、わたしも同じような気持ちを抱えてしまった時期ががある。
だからさ、そんなことで彼らのことを『悪い人間だ』と思ったり、恨むことはできない。
だって、その状態に陥ってる時、自分自身が苦しかったり、自分を責めてしまうことがあるんだなって感じたから。
でもさ、それはただ彼らの問題で、彼らは彼らで、自分の世界を生きてるだけなんだよね。…そう、自分の世界を生きてるだけなんだよ。
なのに私はさ、その考え方に引っ張られて、傷ついて、自分を抑え込んで、自分のいい所を消して…、自分らしく生きることをやめてしまったんだなって。
それは、彼らのせいでも、彼らの問題でもない。
ただ、わたし自身の問題だったの。
「わたしらしくさ」がスピリチュアルだったを思い出し、感覚を思考に落とし込んでいった。
わたし自身の問題に気づいて、そこを抜け出していく時…、自分のいる環境では、わたしらしさを表現できないことに気づいた。
自分の感情を出すことができない。
自分の感覚を表現することができない。
スピリチュアルっぽい話なんて…。
自分の感情や感覚を抑え込んで、ただただ周囲になじむことばかり考えてた。
だけど、心の中にはずっと、『自分らしさを表現したい』『もっと自由になりたい』って気持ちがあった。
『あの頃のように、わたしらしく生きたい』と思って、必死にもがいてた。
あの頃のように、わたしらしく生きるために。
ネガティブモードで、感情や感覚を麻痺させて生きてる自分を変えるために。
もっと自分の感覚を活かしていくために。
もう1度、自分の人生に、自分の使命に向き合うために。
『人生を変えたい』『新しい自分に生まれ変わりたい』と思った時に出会ったのが、彼だった。
新しい環境に飛び込んだことで、自分の感情・感覚を受け入れてもらえることも増えて、表現できるようにもなって、世界を見る視点が変わって…、『わたしの人生は、変わる』と確信した。
だけど、そんな時間は長くは続かなかった。
自分の感覚・やりたいことを否定する人が現れて、あの頃のように他者に合わせたり怯えたりして自分らしさを表現できなくなったりもした。
『自分を守るために、ちゃんと言葉を発しなきゃ』と思って伝えた言葉をきっかけに、激しく人格否定をされたり、追い回されたりした。精神的にもボロボロになった。
なんだけどさ、それが全部、自分で引き起こした現実だったことをに気づいた。
自分の思考・世界の見方、自分も持つ引き寄せ力、自分の持つ感性…、いろんなものを思い出していった。
過去の自分のすばらしさを感じて、それを否定してくる人たちの言葉を聞き入れず、わたしは自分の感覚を大切にしていいんだなって思った。
感覚的になるほど、今度はスピリチュアルな人と関わることも増えたけど、私はどうしてもそのスピリチュアルにもなじめなかった。
スピリチュアルな人たちの求めるものと、わたしの感覚は、少し違うような気もした。求められるものをしなきゃいけないと焦ったりもした。
なんだけど、それでも「自分の感覚を信じること」「自分の感覚を信じて、見えない存在・流れを信頼して進むこと」を求められてるのを感じた。
それは、特別な存在・スピリチュアルな存在になることじゃなかった。
スピリチュアル能力が開花することでも、なんでもなかった。
ただ、自分の感覚を大切にして、自分自身を信じて、表現していくこと。
わたしらしく生きること。
わたしらしく生きること自体が、感覚的で、スピリチュアルで…。
そこに言葉での説明や形を求めるのではなく、他者の評価で穴埋めするでもなく…、ただ、私がわたしらしく生きること。
そこに、わたしのスピリチュアル能力があったことを思考・現実に落とし込んでいく。
それが、今の私が感じてることで。
それが、これからの私がやっていくことなんだと思ってる。
だからさ、「ツインと出会ったことで、スピリチュアル能力が開花したんだ」って思われるのが、なんか悔しかったの。
私はずっと、無意識にそういう生き方をしていて…、子供のころからずっとそれを否定して隠していて。『普通になりたい』と必死もがいていて…。
自分の感覚を、日常になじませようとしてた。
そんな自分がなかったことにされてしまうのは、まだ悔しいの。
セラピストになってから、自分の体や心の感覚がわからないことに気づいて。
玉ねぎの皮をむいていくみたいに、1枚1枚皮をむいてきた。
少しづつ自分のことを知って、癒していって…。
自分の感覚を知って、受け入れて、使うようになって…。
自分の感覚を『スピリチュアルな物』と思うこともなく、ただ『洞察力がある』『人を見る目がある』と思っていた自分にも気づいて。
ビジョンが見えるのも、引き寄せが強いのも、いろんなことがわかったり、見えない存在を感じたり、ヒーリングしたり、流れを読んだり…
そういうのも全部、『不思議だね~』って思う時はあっても、自分の能力だなんて思ってなかった。
受け入れてくれる人の前でだけ、相手に押し付けないように気を付けながら少しだけ伝えて…、あとは、なかったことにしてた。
それが全部、自分の感性なんだって気づいた。
それを全部さ、「ツインレイに出会ったことで、スピリチュアル能力が開花した」って思われちゃうのは、悔しいのよ。
だって、そこにはたくさんの葛藤があったんだもん。
それに、わかってしまうからこそ、使い方を間違えないように、人を自分の思い込みでコントロールしないように。自分に見えてるものが自分の思い込みじゃないのか・ジャッジになってないかを判断するための軸を作ったり。自分のうちわを大きくしていったり…、いろんなことをしてたのに。
それが全部なかったことにされてしまうのは、今はまだ悔しいの。
それにさ、『ツインレイに出会うことさえできれば、そんな体験ができるんだ』とか『ツインレイに会えれば、スピリチュアル能力が開花する』って期待してツインレイを求める人が増えるのも嫌だし。
ツインレイに出会った人が、もっと現実的なところにその人の輝きがあるのに、スピリチュアルに引っ張られすぎて自分を見失ってしまうのを見るのも嫌。