他力本願 -関係性の中の自分-
1.今回のテーマ
2024年5月3日~5日【地球にやさしい春旅 from 屋久島】の旅の振り返り。
今回の自分の中のテーマは、【地球を感じているときに、自分の声が聴けるんじゃないか】という問いだった。実際、屋久島で地球を感じる旅を通して、自分の声はそれ自身を聴こうと思って聴けるものではなく、自分がオープンになって(解放されて、環境に身を委ねて)自分というものを考えていない、すなわち、自分が薄まったときに、聴くというよりは自分が何を思っていて感じているかをわかるということなのではないかと思った。
屋久島には山岳信仰が存在していて、岳参りという古くからの伝統があるのだが、その一つの霊峰である【前岳】を登っているときに特に感じた。
整備されきっていない山道や急勾配の頂上付近、開けて空が見えるとそれまで木に守られていた雨が直接自分に降ってくる。霧の中の森を一歩一歩歩いていると、正直、自分なんてどうでもよくて、次はどう進むか、滑らないように、落ちないように道を選んでいくだけだった。でもそんなときに、ほぼ無意識の中で、自分もびっくりするようなことを言っている自分に出会ったりする。
歩いている途中で、僕の足元をクモが走っていったときに、それを見て、
【ここには小さな神様が沢山いるんだな】と思った(勝手に言ってた)。
森羅万象、あらゆるものに神が宿ると考えてきた日本の古くからの考え方に自分が影響されての思考の結果だと思うが、身をもってそれを体感するとやっぱり生命への畏敬の念のようなものを感じてしまう。面白いなと思った。
自分という生命は、沢山の生命の中の一つでしかない。
それを身をもって感じた。
2.仲間の変化
今回は、僕の大切な友人や先輩と共に屋久島へ行くことができた。
友人は、率先してSUPから安房川へ落ちてくれた(気づいたら落ちていた)のだが、落ちたことによって、そんな自分でもいいんだと思えたらしい。ほんとにすごい。(笑)
それに気づける友人もすごいし、自然体験による殻破り(解放)の威力も恐るべし。
先輩は、最初からめちゃくちゃ考えていて凄かったけど、最後には自分はどんなことも楽しめるんだと思うって言っていて、僕も3日間を通して【楽しめる人】だなと思っていたから、それを自分で自覚できていることがすごいなと思った。
最初は、自分の好きを共有できる喜びを感じようと思っていたのだけど、知っていたはずの友人や先輩から、沢山のことを学ばせてもらえた。沢山感動したし、心が満たされていた。
3.最後のまとめ
この3日間を一つのキーワードに落とし込むなら何かということを皆で考えて共有してこの【地球にやさしい春旅 from 屋久島】を締めた。そこでの学びも沢山あったが、ここでは自分の話を残しておきたい。
この3日間のキーワードは、【他力本願】にした。
他力本願って、ひとまかせやん!と以前の僕は思っていたが、今回は、ちょっと解像度が上がったと思う。というのも、【他力】って、他の“ヒト”だけじゃなく、【屋久島】のような“土地”や“感性(センスオブワンダー)”、自分をつくっている外部の要因でもいいんじゃないかと思ったということ。
今回の春旅では、仲間たちや屋久島、なんだかよくわからないけど上手くいくんじゃないかという変な確信に身を委ねていて、SUPの上で寝転がりながら川に流されているときのように脱力していた。
何でもかんでも自分がやらなきゃってことはなくて、できる人ややりたい人に任せることもその人を尊重する道、大事にすることでもあると思えた。
もっと自分は脱力して、ゆったりと流れに身を任せながら、他(他人だけでなく土地の力なども)を生かす道を感じ取っていけたらいいなと思った。
他力本願。
自分は一人では成り立っていないし、地球上のすべては関係性の中に成り立っている。
その核心に少しだけ触れることができたかもしれない春旅だった。 こうやって振り返っていると、屋久島にいくと感性が勝手に開いていて、やっくんの愛する息子が言っていたように【屋久島から地球が見える】んだな~と思った。
一緒に探究の旅をしてくれたみんな、ありがとう~~~!