なんとなくの動きに身を任せてみる

繊細であること、感受できること
ひとよりもいろいろな情報をCatchするtypeのひとがいる

この人、「その」情報がわかるんだな

身体の反応が物語っている。それは無意識の反応


思考では、エゴでは気づいていないこと、ひとも案外いる。
じぶんが気づいているか否かにかかわらず、存在として感受するひと、しないひと、がいるようだ。

すべての動きを止め、シンプルに「感覚」だけ一度感じてみたら。そんな方々も「感受している」ことに気が付けるかもしれない。

ただ、感受していること柄に、反発の反応をしたい状態にあるときや強い怒りをかんじているときは少しややこしいかもしれない。「動かない」が第一次反応として現れるからだ。

反応したくないんだな。。動かないをしたいんだな。「そう」なんだな。
そうありのまま、あるがままに受け止め受け入れ、そこに受容を置いてあげると大概、呼吸にちょっとした変化が訪れる。
ほっと解放され深くなったり、怒りを表現しだよいと許可がおりたのを感じて息が詰まり、呼吸にギュっと力が入ったり。

気づこうとしなければ、うっかり見逃してしまうような何気ない反応こそ実は一番、いまの、人の在りよう、状態を物語っていたりしている

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