音(からだの声)で司る世界~主体的選択のもつ力~
頭の声、こころの声、からだの声、があるのは、わかっていただけるだろうか。
idea、思考、考え、これが「頭の声」
感じていること、そのものつまり感覚が、こころの声
おこっている、とか悲しいとかそれはすでに言葉での表現に置き換わってしまっていて、その人、その存在自体が感受しているものとはすこし、その人、その存在がもっている思い込みによって左右されてしまう部分も大きく、必ずしもそれ自体が「こころの声」とはならない。そこは微妙な違いなようでいて、まったくもって違うことになってしまう