
“使える(Available)” というワード
注意:以下「モーダル・インターチェンジ」を「M.I.」と略します。
◆
私がどちらかと言うと「悪書」だと思っている、『コード理論大全』という書籍があります。
―― Ⅳ-maj7はⅣ-7に似た構成音を持ちますが、~(中略)~このコードはメロディックマイナーの第五モード、ミクソリディアン♭13からのモーダルインターチェンジコードで、――
注:「-maj7」と「m△7」は同じ。
【参考】←の0:37~の譜例の Cm△7 は、Gメジャーキーにおける Ⅳm△7 。
M.I. は「分析の道具」か?
私は M.I. というコンセプトについては、必ず
「実験的な、創造目的のアイデア」として紹介します。
一方、ジャズ系の理論(まさに chord-scale ベースの理論のこと。多分)は、M.I. という発想を「(その音楽的ボキャブラリーが)“使える”、つまりその耳馴染む “根拠”」であるかのように、暗に発言してしまいます。
――Ⅳ-maj7はⅣ-7に似た構成音を持ちますが、~(中略)~このコードはメロディックマイナーの第五モード、ミクソリディアン♭13からのモーダルインターチェンジコードで、――
「コード理論」てネーミングなのに、条件反射的にスケールの話したがるのも悪い。
そこについてを「前置きしなくとも良い」と信じ込んでるのは最悪。
M.I. 論法の中身と、存在意義を問う
特定の耳馴染んだ(人によるじゃん)スケール、
例えばここでは melodic minor scale の上行系ですが、
「耳馴染んだスケール」の開始位置を変えて作り出せる全ての音組織=内包される全 “モード” は、同様に全て耳馴染む(“使える”)ものである。
(さらに、その音組織の内部で自然に成立するダイアトニック・コード群であるならば、さらにそのパラレルな音組織の内部でも ”使える”。)
なのでダブルクオーテーション。また記事にしないといけない。
ちな melodic minor scale の上行系の、この「上行系」の意味合いを取り払ったもの
(=このままの音選びで下行も何でもする)を、“jazz minor scale” と呼ぶらしい。
という論法なんだと思います。ここまで筋道立てて明言した人を見たこと無いですけどね。
……これってまさに、「中心音」という(世界各地の音楽で自然発生する)存在を、全く度外視しています。
言うなれば「アイオニアンもロクリアンも、全く同様に使い物になる」という主張が、まず真っ先に成り立たないといけない論です。
今そうなってないやろ。

◆
M.I. は、どう好意的に見ても「開拓的・チャレンジ的な発想」です。
「良い感じに聞こえる理由」を釈明する道具とするには不適切なはずです。(中心音の問題があるから)(あと旋法を自作し出したらキリないから)
その意味で、「この和音とこの和音は M.I. です」というのが、果たして「分析した」ことを意味するのかどうか、ひどく疑問です。
あなたの中で「M.I. の使い方(のパターン)」とでも呼べるものが固まっているということなら、「M.I. です」は「(あなたにとっての)ボキャブラリーの整理」ではあるでしょうね。
ただ、先述の通り(そして当たり前に実感されている通り)、M.I. の発想で「”使える”」ということになってるコード群の全てについて、同じ要領で導入すれば ”うまくいく” ものであると考えるのは、かなりの無理強いです。
実際 件の書籍でも「パラレル・ロクリアンからのM.I.」との言で ♭Ⅵ7 というコードを紹介しています(p157)が、続く「M.I. の使用例(p159)」の中に当然、出て来ません。“使え” ないじゃん。

この Ab7 というのは、恐らく「最も多数派的な解釈」を(努めて)考えた場合にも両義的で、
そのいずれにしても「C Locrian」の出る幕ではない、と私は考える。
一つは ドッペル(= D7) の裏コード。古典的解釈(つまり裏コード “化”)で以下。
g: Ⅴ9 [D F# A C Eb] の根音省略・5th下方変位 (A → Ab)・の2転。加えて5th上方転位 (A → Bb)。
すなわち Gb は元来 F# で、g: 組織からの借用。この解釈に於いて C Locrian は関係ない。
もう一つは Gb音 がブルーノート化した音であるという解釈。
「Locrian の第5音を、本当に “blue note” と同一視して良いのか」という難題があるのと、
前者の説を完全否定しない限りは、ここに “合う” のは Db に優先して D♮であるように思われる。 するともう、少なくとも C Locrian ではない。
“C Locrian#2” とかいう微調整が入るなら、もはや教会旋法スタートで考える意義が迷子。

「M.I. の発想のコードの中には、使い易いモノと使いにくいモノがある」というスタンスならば、包括的な言い方での「これは M.I. です」という注釈が、それ単体で「分析」行為に相当するとは思えません。
「これは 頻出の M.I. コードの一つ です。」が、実例分析としての最低限でしょう。ただし先述の通り「整理」でしかありません。
そしてここに “M.I. 由来の” と加えるのは、多くの例ではおこがましいと思いますね。作者の気持ちが分かるのか
そんで、頻出のそれらって、同主短調の奴ばっかです。
サブドミナントマイナーなり、準固有和音なりの名称を使っときゃ、9割は事足りるんじゃないでしょうか。
その他の頻出のものは、「ドリアのⅣ」とか「ピカルディ」とか、個別の名前が有名でしょう。

◆
耳馴染む音響が耳馴染む理由については、「それを繰り返し聴いたから」よりも影響力のある要素は他にありません。アヴォイド・ノートをじっくり毎日 聴き続ければ、その内 気にならなくなります。微分音だって。
それが「耳が肥える」ということです。
それが「音楽文化の違い」です。
感性が「研ぎ澄まされる」ことと「痩せ細る」ことは同じだし、
感性が「幅広くなる(寛容になる)」ことと「鈍る」ことは同じです。
これはたった1次元の直線スペクトル上の話で、人はただ「最も自分らしくあれる座標」を探求し、自らを置く(or 行ったり来たりする)だけです。
ここから一層 口悪くなるパート

◆
◆
◆
本書の特徴は、記載されているすべての理論について、必ず理論が導き出される“理由”が書かれている点にあります。~中略~ “Ⅱm7の場合はテンションに9thが使えて、Ⅲm7の時は使えない”という事実のみを暗記するのではなく、“なぜそうなるのか”を理解することによって~後略~
よくその口で言えたな
“使える” とは、“available” とは何なのか。そのジャズ理論に特有の文化の存在を相対化も出来ずに、ごく当たり前に通用する感覚だと思い込んでいる時点で、こんな序文、読む価値無しです。
この本には、「“なぜそうなるのか”」なんて書かれていない。
それは他の本も、他のサイトも、私のYouTubeチャンネルも同じですが、思い上がるのは話が別です。
この本は(少なくともあの序文の “文章の書きぶり” では)、
「決して越えられない一線」を越えられた気になっています。
「正方形の1辺が2倍になると、面積は4倍」になる理屈は説明できても、「1辺 =1cm の正方形の面積が、1“平方cm” である理由」なんて、説明ができることじゃないんです。(尚これの場合は「人間がそう決めたから」)
なぜなら官能評価が至上で、そしてそれが「人に依る」ことばっかりだから。
まさか「使える(available) / 使えない」なんて強権的なワードをチョイスしておいて、
「本書の言う “なぜそうなるのか” とは、前者のような理屈の説明までです」は通らないだろう。
なんならあの序文に「(※既存の理論書では)“なぜ” 美しく聞こえる場合とそうでない場合があるのか、といった疑問の解決には至らないケースが多かったように感じます。」とすらある。
少なくとも、言葉選びに無頓着なことが伺える本。
◆
Ⅰ△7 を「多少華やかさが増すものの、これも落ち着いたサウンドになると思います。(p51)」と思うのは、当たり前の感覚じゃないんですよ。※
それはジャズの文化の思考回路で「〇7ではないから」という相対化の上で「相対的に “トニック感” を体現した響きである」という手順を踏まえて説明しなければ、ジャズ界隈の外でまで「当たり前」とはできません。
「G7 → C△7」じゃ不安定と噂のトライトーンの解決が中途半端じゃん。
当然のように ““““MELODIC”””” minor scale 上にダイアトニック・コードを積もうとするな。それは暇を持て余したジャズマンたちの遊びなんだよ。基礎編なわけがあるか。
あと私ならこの本の文章・本の厚み、半分に圧縮します。
そもそも「“コードスケール・ジャズ” への入信本」なんて、私が手掛ける理由がありませんけどね。
著者サイトの触れ込み、「全ジャンルの音楽家必携の標準コード理論書」ですけどね。一句一句、一つも合ってなく見えます。
◆
でも Op.6『ピアノソナタ』は面白い曲そうだな、って思いました。
こういう人って天才型だから、曲は良いのかもしれないと思って、一通り試聴しときました。いくつなんだ、年上?
ただ、件の書籍は「どこで勉強しても大体同じ」である内容が書いてあるので、別に「買うな」とは言いません。「役に立つ」とも約束できません。
まぁそれは「本」もとい、勉強なんて全部がそうです。
◆
でも、私の綴るこの記事の言い分の方が信用できそうに思うなら、そのお金で私のレッスンの一日プランを3回使った方が良い。
「音楽」なんて、繊細だし良い加減な分野の知識本、「ヒットする本ほど価値が無い」と思います。
私は、“あなた一人だけ” のための説明を書き下ろします。
「曲を作る」ことができるような知識について、およそ平均的な皆は「知識の名称を知らない」だけで、日常生活の中で好きなアーティストでも聴く内に、多量の知識を自然習得している
— 飛岳(Hidaka) (@Hidaka_Sui) August 14, 2023
それを整理してやれば良いだけの作業に、「音楽♪理♪論〜」とか謳うコンテンツ等は1割も掠りもしないことがままある
◆
「万人向けに作る価値のあるトピック」は、既に動画化しています。