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【よわび:9のめ】弱火は昔から「よわび」だ!?
料理の人からお叱りを受ける。弱火は昔から「よわび」だったそうだ。それが神さまの御心ならどうしようもないが、その横柄な何様感は好きじゃない。洒落の方がまだマシだよ
1.戦前から現代
和の弱火(よわび)、洋の弱火(とろび)
思い起こせば母の昭和なころ、まだ戦前のことだが、「弱火(よわび)」と「弱火(とろび)」の棲み分け$${^{出典1}}$$がすすんでいた。和・洋・中華で凡そ、次のような使い方だった。
・薪火 ・・・和食「弱火(よわび)」 [温度設定]
・炭火 ・・・洋食「弱火(とろび)」 [オーブン]
・直火 ・・・中華「文火(とろび)」 [ガス・コンロ]
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この「文火」とは現代中国語だ。英語のroastからくる訳語で「水や油などを加えながら固形物を溶解させるときに使い、焦げつかないよう中火で火加減する」ことをいう。
こうした傾向は現代も変わっていない。「とろ火」を「日本語書き言葉コーパス・小納言(無料版)」にかけると21件がヒットする。比較すると漢字の「弱火」は421件だ。消えた言葉といっていいのか?
いや、「弱火」を「とろび」と読めなくなったのだ。なぜなら、意外なことに平成の中ごろまで「とろ火」とは、煮炊きから上で炒るためにもつかうすこし強めの火加減だったからね。
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弱火をすごく弱い火だと思いこんでいると「とろび」とは読めない。
実際、Chat GPTさんにお伺いすると「とろび」の意味を知らなかった。そもそも「よわび」とも読まず、あくまで頑なに「じゃっか」なのだそうだが…… 機械翻訳には掛からない言葉なのだね。
ちょっと関係ないことを思い出したのだけど、芸能人の草彅剛は自身の番組で手作りカレーを振舞おうとし、俳優の高倉健を四時間待たせる大失態を演じた。カレーのルーづくりで玉ねぎから「とろ火」で炒めはじめたからだった。
韓国料理の銀鍋(薄いアルマイト鍋)から「弱火(とろび)」をすごく弱い火だと思ったのだろう。寒く辛い思いをしたのが健さんだけとは限らない……
専門用語の強火と弱火
これらとは異なり家政学の論文には「弱火(よわび)」が散見されてきた。オーブンとは異なる直火では温度管理ができないとし、燃焼カロリーの「高・低」と調理中の行動との関係を表現する言葉$${^{出典2}}$$で意味はまったく違う。
まとめてみると次のようになる。
強火・・・2,000kcal/h 以上(ガスを全開にする)手早く調理する
中火・・・1,000kcal/h 前後(よくつかう火加減)
弱火・・・400〜800kcal/h 周辺(ガスを適度に絞る)調理に時間をかける
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[2]調理とインプット : ガスコンロの火加減に関して(昭和52)
とろび(中火前後の火)をつかうことは珍しく、料理は限られている
1,200kcal/h・・・茶碗蒸し
1,500kcal/h・・・ぶり照り、(茶碗蒸し)
あなた、家庭で茶碗蒸しやブリ照りつくれますか?
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つまり、ここで弱火(よわび)とは、煮物につかう弱い火で煮え加減のこと、かける時間のことだが、弱火(よわび)よりもさらに弱い火が「とろ火」と辞書にのったのは「三省堂 国語辞典 (第7版)」からだった。
辞書の記述が「よわび」の読みの根拠になったとして意味は間違いであることが多い。論文で使われる「幅のあるやや弱い火」としての弱火(よわび)が世間にも広まったということか?
いやそれも違う、弱火(よわび)が使われなくなったからだよ。
IH調理器ではガス火を研究して火力がとび飛びになり中火しかつかわないし、阪神淡路大震災以降コンロは安全機構が働いて消えてしまうからね。弱火(よわび)は比較的新しい死語であり、記号性が高い新たな造語です。
2.昔から「よわび」!
では、それ以前はどのように使っていたのだろうか。昔からっていつから?
実のところ、よくわかっていない。めでたし、めでたし……
これだけではつまらないので明治の料理本を調べてみる。
明治9年、いわゆる鹿鳴館時代、上野精養軒が華やかな文明開化の一翼を担う会場として栄えると、明治19年にできた南茅場町弥生軒などは優秀な若き将校がいた陸運との結びつきを強めてゆく。
このころ国際都市、上海は世界の中心だった。男心は胃袋にある。政治欲やら色恋がからめばテーブルマナーは上流女子の必須科目にもなる。
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明治はじめ頃の料理本で火に関わる記述がある。
この敬学堂主人著西洋料理指南$${^{出典3}}$$が、国立国会図書館にあるなかでは古い料理本だ。残念ながら印刷ではなく木版刷りで出回りは少なかったろう。
一 書中焙クノ字《ジ》ヲ用ユルモノハ「スタフ」ニ収メテ焙クモノニシテ我俚語ニ「ムシヤキ」ト云モノナリ煎ノ字ヲ書スルモノハ俚語ニ「イル」ト云モノナリ『烹』或ハ『煮』ノ字ヲ書スルモノハ俚語ニ「ニル」ト云モノナリ「油或脂ヲ以て烹ル」ト書セシモノハ俚語ニ「アブラケ」即チ「テンプラ」ト云モノナリ焼ノ字ヲ書セシモノハ俚語ニ「ヤクト」云モノニシテ即チ「テツキウ」又ハ「テツアミ」ヲ以テ焼クナリ
-----------------------------------
【補足】
俚語:お国言葉および方言のこと
アブラケ:唐揚げ
テンプラ:カツ揚げ
【現代語訳】
・本書で『焙』を用いたところは「オーブン」へいれて炊くことで、いわゆる「蒸し焼き」のことです。『煎』と書くのは「炒める」ことをいい、『烹』または『煮』とは「揚げる」ことをいいます。例えば「油脂をつかって煮る」とあれば「唐揚げ」すなわち「カツ揚げ」になる。『焼』とは「焼く」ことなので「フライパン」あるいは「焼き網」を使って焼くといいでしょう。
ここで「スタフ」とは? と思っていたら続いて挿し絵が載っていた。
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スタフとはストーブ、つまりオーブンのことだった。
この時代、オーブンのない家庭では「かまど」を改造して使った。
西洋料理に火加減はなく時間で計っていた。大雑把といえばそれまでだが、これはどうやら革新的なことだったらしい。火加減が数字でわかるからね。
こうしてオーブン火の「弱火(よわび)」が生まれる。
【追記 2024.1.22】
ちなみに、弱火(よわび)の初出を図書館に調べてもらった。
質問:弱火の初出を知りたい。
回答:暮らしに結びついた語の初出を確定することは一般的に困難です。
ただ、語源を調べられる料理事典(参照1)では、
・「よわび[弱火]) 蓋をしないで、鍋の中の液体が煮立たない加減で沸いて
いる状態のこと
・「とろび[文火])ごく弱い火
さらに参考情報として2007年の新聞記事(参照2)では
とろ火という言葉について「調理器のマニュアルには残ったが、料理の
マニュアル(レシピ)からは消えた」
とのことだった。
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(参照資料)
[1] 遠藤十士夫 監修『よくわかる日本料理用語事典』旭屋出版, 2018.
[2]「[新日本語の現場]マニュアル(28)風前の「とろ火」(連載)」
(『読売新聞』2007.11.9 東京 朝刊 37 頁)
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・家庭にはオーブンがなく、和・洋・中華のつかい分けをしなくなる。
・茶碗蒸しやブリ照りをつくらなくなりレシピから消えた。
・韓国料理にはとても弱い火の「弱火」がある。
(クックパッド$${^{※9}}$$などレシピサイトでは、これを「とろ火」としている)
といったことからすると、至極、当たり前の回答かも知れないなあと思った。
3.明治末期から大正期
「弱火(よわび)」を造った人たち
鹿鳴館時代、巷の雑誌や書籍では西洋料理ブームが起きていた。
明治15年、日本ではじめて料理学校を開いた赤堀峯吉という人がいた。学校の名を「赤堀割烹教場」という。ここの開校式典で今や家庭料理の定番ともいえる「ハンバーグ」が振舞われ好評だった。
これに気を良くしたのか、明治17年、初となる西洋料理本西洋料理方:即席簡便 $${^{出典4}}$$を出す。これは洋食のバイブルといえる本だ。さらに、明治20年には西洋料理を教えはじめる。
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また、着物をきたまま火をあつかう婦女子のため「割烹着」を開発した。これからは女性たちのつくる料理も科学の時代だ。
割烹:明治時代後期頃から大阪で流行した飲食スタイルで、当時は、腰掛けの即席料理店と呼ばれていた。それまでの宴席料理と違い、自分の好みに応じて、板前が目の前で即座に調理した出来立ての高級料理を気軽な椅子席で食べられることから、大正・昭和初期に大阪で大流行となり、全国に広がっていった。
こうした革新的なアイデアで次々と門下生の裾野を広げてゆく。やがて初代峯吉は、日本女子大、お茶の水大でも教鞭を取るまでになる。
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その2代目峯吉(赤堀熊衞門)は父とともに料理本を多く出版し、明治40年にはガス調理器を授業に取り入れている。
刻は大正デモクラシーの聡明期。
女子が料理をするものという欧化思想を取り入れ、男女平等もまたやがて時流になってゆく。身近で集められる食材をつかい、家庭にある道具や調味料でつくれるレシピを載せた西洋料理書の出版が増えていった。これに応じ3代目峯吉(赤堀旺宏)は新しくできた「東京料理学校」というところで筆頭講師を務めている。
むしろ戦後になってからが赤堀流は有名じゃなかろうか。4代目全子(赤堀房江)はNHKテレビに出演。長年にわたり「きょうの料理」で先生役をつとめ、あの東京料理学校を出たばかりの江上トミは「キューピー3分クッキング」という長寿番組の初まりから先生を果たすことになる。
どちらも料理研究家の先駆けであり大家といっていい。つまりざっくりいって、女学生、中流階級のお嬢さまにはじまり、ご家庭の主婦といわず料理人までも皆誰もが赤堀流の弟子みたいなものだよ。
この赤堀峯吉たちが書いた料理本で「弱火(よわび)」という言葉が生まれた。
牛タンとトマトを4,5時間煮るのを「弱火(よわび)」、ジャガイモなど下茹でした後で「とろみ」がでるまで煮詰めることを「弱火(とろび)」と使い分ける。
火加減 炎(火力)の強弱で並べると……
強火(つよび)・・・炒め物、煮物
弱火(とろび)・・・菓子、練りもの (焦げないように手早く練る)
弱火(よわび)・・・永く煮詰めること
現代とは言葉が入れ替わったというか真逆の感覚だ……ところが、料理法は違っておらず、テレビでよく聞いていると使われる言葉も変わっていない。
つまり、なぜか現代だけ言葉の感覚がズレていた!
家庭料理でつかう弱火と世間さまの思う弱火は別物としかいえない。
ここでもまた関係ない話だけど、私の母は料理が悪魔だ。
焦がした肉しか食ったことがない。揚げたのかと思うくらいに焼き色がキツイ。ミディアムレアで食べたい私は小言のつもりで「肉は弱火(よわび)が好きだ」と重ね重ね言うわけだが、どうやら褒められたと取ったみたいで、肉はさらに焦げつけば懐かしそうに「おじいちゃんも、おこげが好きだった」と語っていたよ。今から思えば「とろび」と言えばよかったのだなぁ…… 閑話休題。
こうしてガス火の「弱火(よわび)」が巷に蔓延った。
この時代にガスの火を燃やし「かまど」のなかを暖めておく、中華のスタイルができあがっている。ガスコンロをつかう火加減は自由自在だ。薪火や炭火とは違い大正ロマンの炎に人々はちょっと憧れた。
「強火(つよび)」「弱火(よわび)」はガス量であり和洋の料理法による区分だったが、この造語には思いがけないところに根拠があった。
康熙字典にそう載っていたからだ……
4.大正から昭和
鶉とは『弱』である
康熙字典とは、中国の漢字字典である。清の康熙帝の勅撰により漢代の「説文解字」以降の歴代字書の集大成として編纂された。
その「巳集 中巻 火部」の冒頭あたり$${^{出典6}}$$にこうある。
[左傳昭十七年]炎帝 氏以火紀 故火師而火名[疎]春官為大火 夏官為鶉火 秋官為西火 冬官為北火 中官為中火
(左伝によると太古の官僚制の説明で大臣など4つの主要な官職名を)
炎帝は「大火、鶉火、西火、北火」とし次官を「中火」とした。
左傳:「春秋左氏伝」のこと。「春秋」$${^{【1】}}$$の注釈書のひとつ
疎 (左伝の注疎):「春秋左傳詁」のこと。左伝の解釈書のひとつ
「春秋」の故事が由来で「鶉火」という言葉が生まれる。鶉火とは十二次$${^{【2】}}$$のひとつ「6時の方角」で夏の盛りをさす。
ところが、康熙字典ではこの『鶉』の字形に誤り$${^{※1}}$$があった。『鴇(とき)』に似た文字だが偏(へん)の「十」の部分が「小」 $${^{出典7}}$$になっていた。
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ホントをいうと、この正体不明の文字が何かは判っていた。中国では失われていたが日本の古事類苑 (明治43)$${^{出典8}}$$には由来が残っていたからだ。それによると偏は「京」であって、これも同じく鶉だった。鶉には異体字、俗字が多く誤りとも言えない$${^{※2}}$$のだが、康熙帝の名において統一したはずだったが残ってもいたってことだね。
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明治41年、国語調査委員会が漢字要覧$${^{※3}}$$をまとめるとき、この正体不明の文字がわからなかったので、意味から『弱』という字をあて、元の字の『鶉(トン)』を一覧表に残したとされる。
なぜそんなことをしたのか? 国民感情が苛烈な隣の国の皇帝の威光に傷をつけてはいけないし、料理の話は料理人に聞けだね。そも料理の神さまが「弱火(よわび)」っていってみたのだから、ここは『弱』でなければいけなかったのさ。
神の御心だよ、逆らうことなど許されない。造語が誤植の言い訳になり、過ちを認めない横柄さが造語の根拠になる……マッチポンプみたいな話だ。私なんぞは皇帝だろうと誰であれ鶉は「うずら」と思うのだが、はじめて料理本に載せたときからこうした曲解は都合よかったわけだ。
ここまでが漢字の『弱火』の由来。
弱火は「とんま」と読んだ?
炎帝とは火を司ると考えられた伝説の神様でもあったので、康熙字典と同じ故事から生まれた『焞』という字がある。「焞々」は薄暗いさまで「焞々」は勢いが盛んなこと。黒いなかで盛んに耀く星々のことだね。
火勢の順からすると大火の次で、これは熾火(おきび)のことだったろう。このように意味を加えて使われた字を「仮借字」$${^{【3】}}$$ という。
この『焞』が「とろび」の語源$${^{出典10}}$$だ。

また『焞(トン)』の音を示す字は『純(トン)』だった。
さらに関西人は、あたまから純な純粋無垢な人間が嫌いだ。己が悪い奴に見えるからね。「純臭い」と嘲笑う風潮がある。小話に、なかなか手に入らない朱鷺を買っておいで『丹頂鶴』のようにでかいやつと言われ、生き馬の目をぬく大坂で、朱鷺の雛と謀られ騙されて『鶉』を買わされた頓馬な男の話がある。
同じく、方言「純間(とんま:間が悪い意)」の由来でもある。
学校の先生もね。スープといった湯加減で教えればいいものを、強い、弱いみたいに火加減で教えるから炊飯の授業で子どもたちは失敗する。学校を出てから勘違いも起きる。まったくトンマな話だよ。
前回、炎の温度をまとめてあるから社会常識としか言えないが、机の上だけでの辞書引くと中火の熾火が暗い星の『焞』などとは理解できないかも知れない。
都市伝説「とろ火さらに弱い火」説
生活に身近な言葉で「微温(ぬるま)火」$${^{出典11}}$$があった。ぬるま湯ぐらいに温める火をいうのだけど、これと炭火の「緩火(ぬるび)」とが誤読されてきた。
とろび 漫火 とろとろと勢る火。勢いの弱き火。
ぬるび 緩火・文火 火気の弱き火。とろび。
ぬるま 微温 ①微温湯(ぬるまゆ)の略。②性質のにぶきこと。のろま
ぬるみ 微温 微温湯(ぬるまゆ)に同じ。
永い幕藩体制が明けたばかりだった。明治は互いにきつい方言が残っている。訛ると読みが同じになるんだね。
また、枕草子に『動くにつれゆらぎ熱気の薫る炭火』のことを「ぬるくゆる火もてゆけば」とあって、緩い火に温い火の2つがあるかのような誤釈$${^{※6}}$$も多かった。「微温(のろま)」からの連想で『鈍(ドン) 』に掛けた悪ふざけが起きてしまえば、「にぶい火」「のろい火」だと思い込まれるようになっていた。
湯加減と火加減とを区別できない為体。語感のなさ。
経験不足から「とろ火<弱火」という都市伝説が沸いているのだと思う。
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炭火の熾火で文火のことを「焞(とろび)」といい「漫火(とろび)」と書けば、「温火(ぬるび)」といったり「微温(のろま)」やら「頓馬(とんま)」といい直したりで、もうひっちゃかめっちゃかだったろう。
これと重なるように大正デモクラシの時流もあって、どことなくかっこいいから、音読みでは「シュンカ」のはずなのに「よわび」ともいう。
誰ひとり原典にあたらない報いだね。
読み方は太古の音「鶉→焞(トン)」で意味は熾火だったのが、十二次の鶉火の読みから解るとおり、仏教が伝来してからは『玉篇』をとり「焞→純(シュン)」の呉音へ変われば、仏典によると「鈍(ドン)」だったはずだと先祖返りがみられても、もう意味わかんなくなっていた。
これを洒落といえば私は好きなのだが、言うこと成すこと嘘ばかりで、こうした感覚は関東人にはさっぱりわからない。学校からは元の字が消えてしまった$${^{※7}}$$わけだから、挙げ句の果てには「微温(ぬるみ)」から出た勘違いだけで女性の月のもの$${^{※8}}$$と掛けた「泥火」「瀞火」といった諸説というか、都市伝説まで生まれる……嘆かわしい。
鴎外は「仮名遣意見」のなかで、新語や造語はそのまま使っていいのだけど、言葉の経緯を追わなければその意味までは扱えない、つまりは読めないといった主旨のことをいっている。
思い出して欲しい。カレーのルーを玉ねぎから弱火で炒めること、ホワイトソースを弱火で乳化させること、シチューをことこと四時間あまり弱火で煮込むことなどなど、どれも言葉は同じだが、火加減は決して同じじゃなかったよね。
このように「弱火(よわび)」周辺の言葉には、嘘の多重性がみられることがわかる。ひとつ嘘をついたのでまた嘘をつく繰り返しだよ。
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ホントのところ、韓国語の語源をみる『説文』には「焞」の字がある。ということは確証は何処にもないのだけど、こうしたキツい洒落やら都市伝説やらは、もうその頃からはじまっていたのかもしれない。ある日突然もしかして、あなたの家の古文書から証拠が出てくる日もそう遠くないのだろう。
しかし私は、この「弱火(よわび)」の読みだけは許せない。文字からして横柄で何様感がつきまとう。まだ、洒落であったほうがましだよ。
5.どの時代も弱火(よわび)は流行語
ここまでを整理してみましょう
・大昔に「鶉火」という官職があった
・これは意味から熾火(おきび)のことだった
・江戸時代は鶉火を1字で『焞』と書いた
・昔から『火加減』と『湯加減』とが誤解•誤読されてきた
・鶉火の焞(トン)は「→純→鈍→泥→瀞」まで変化する
・言葉の意味は変わらず、語感だけがズレている
書いた側が正確に書いても読んだ側はそう思っていない。読めない。
巷で「よわび」という語感は経験不足からくることがわかった。
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茶碗蒸しや照り焼きを家庭で作らなくなって「とろび」はレシピから消えたが、弱火(よわび)と読むと料理を失敗する。「よわび」とは煮え加減・湯加減であって少なくとも火加減の話じゃない。雰囲気だけで使われていて正確に内容が伝わらない。意味がない。だから「よわび」とは読まない。なにより流行に合わせ過ぎていて身内以外には伝わらない言葉だからだよ。
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【脚注】
【1】春秋(しゅんじゅう):孔子が記したとされる歴史書。紀元前700年頃から約250年間の『魯』国の歴史が描かれている。また、これにともなう春秋時代は時代区分の一つ。中国•周の平王が王に即位した紀元前770年から現在の山西省一帯を占めていた大国「晋」が韓・魏・趙の三国に分裂した紀元前453年までを指す
【2】十二次:天球を30°ごと12方向に分け1年を12の季節で表した総称。
【3】仮借字:音はそのまま残し、偏を変え意味を合わせたもの
[出典]
[1]家庭料理講習会 編『おいしい日用料理の拵へ方』,春江堂,昭和5.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033887/
(p.220, f.126/140, 全文検索"弱火", 参照 2024-01-26)
[2]玉川,雅章「調理とインプット : ガスコンロの火加減に関して」『調理科学』10(3),調理科学研究会, 1977/10/03.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/10811555
(キーワード検索"調理科学", 参照 2024-01-18)
[3]敬学堂主人 著『西洋料理指南』上,雁金書屋,明5.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/849073
(p.3-4, f.13/33, 全文検索"焼", 参照 2024-01-26)
[4]常磐木亭主人 著『西洋料理方 : 即席簡便』,青木嵩山堂,明27.4.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/849085
(p.22-23, f.3525/58, 全文検索"火", 参照 2024-01-26)
[5]赤堀峯吉 著『赤堀西洋料理法』,大倉書店,昭和4. (※4)
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174822
( p.挿絵, f.17/410, キーワード検索"西洋料理法", 参照 2024-01-31)
[6]【欠番】
[7]石川鴻斎 編纂 「康熙字典 巻21 巳集中 火部 1画」『鼇頭音釈 康煕字典 再版』, 博文館,1892/12/12.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2938233
(f.169/271,目次, キーワード検索"康熙字典 巻*", 参照 2024-01-18)
[8]神宮司庁 編 「動物部 鳥三」『古事類苑』第49冊, 古事類苑刊行会, 明治43[1910].
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1874269
(p.725, f.384/876, 全文検索"鶉火", [本朝食鑑 五 原 禽] 鶉, 参照 2024-01-18)
[9]橋爪貫一 編『訓蒙康煕字典』巻2 享,須原鉄二,明16.7.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/869268
(参照 2024-02-01)
[10]石川鴻斎 音釈『康熈字典 : 鼇頭音釈』巻之1―22,博文館,明43.10.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/902761
(p.1087, f.614/762, 参照 2024-02-02)
[11]落合直文 著『言泉 : 日本大辞典』第1巻,大倉書店,大正10-11.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/969159
(参照 2024-01-27)
[参考文献]
1. 山下,光雄「明治,大正期の出版物が食文化に与えた影響」『日本食生活学会誌』5巻(1994)1号 p.38-41,日本食生活学会,1994/07/31. (※5)
(DOI)https://doi.org/10.2740/jisdh.5.38
2. 石井,智恵美「初等家庭科の教科書にみる炊飯指導法の変遷」『会誌食文化研究 』(4) 2008, p.13~23, 日本家政学会食文化研究部会.
(DOI)https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I9738828
3. 森,鴎外「假名遣意見」,青空文庫,1999年7月23日公開.
底本:「筑摩全集類聚 森鴎外全集 第7巻」筑摩書房, 1971.
昭和46年8月5日第1版発行
(著者 分注)
※1 字形の誤り:字典にはない摩訶不思議なその文字は、皇帝の名において誤植を誰も認めないのだから「康熙字典$${^{出典6}}$$」には、そのままの字形が掲載されてゆくのだろう。同じ石川鴻斎が編纂した「康熙字典考異正誤」によると清朝では人名にしか使かっていなかったようだ。
※2:特に、渡りをする品種が摩訶不思議なその文字の鳥で微妙に意味は違うとされる。尚、ウズラと体型が同じぐらいのスズメ科の渡り鳥に「鷽(うそ)」や「イスカ」がいて、これをウズラだとしていた地方があり、永くウズラと混同・誤用されてきた。
※3:昭和6年の「常用漢字表」、また戦後の「当用漢字表」へと受け継がれる漢字の構成や成り立ちをまとめた基礎資料。
※4:印刷物では初の西洋料理書。赤堀料理学園のホームページによるとこの著者は3代目峯吉(赤堀旺宏)だったようだ。また、木版刷りではこれより先に西洋料理指南$${^{出典3}}$$がある。
※5:この論文の参考文献にある「割烹講義録(全12集) 明治43」とあるは、赤堀割烹本教道と東京料理講習会とは場所が同じことから「赤堀割烹講義録」用語改訂版ではないだろうか。
※6:蒸し焼きにつかう火加減 炎、つまり暖炉の火は1字で『煖』と書き、これは「温(オン)」とも読めるので、湯加減でいう冷めい湯ぐらいに温める火を「温火(オンカ)」とも書いたようだ。森鴎外の「イタセクスアリス」という作品のなかには、箱火鉢で温めた後の冷めた湯を飲む描写で、これを「温火(とろび)」と読ませている。湯のことなら面白い造語なのだが それは料理なのかと私なら思う。
※7:当用漢字表から「鶉」の文字がなくなったこと。ちなみに「とろ火」と分かち書きするのは『瀞』がないからといった都市伝説の元となった話だろう。
※8:辞書の「火」の項目には5つの意味が載っている。例えば言泉では「①燃える火, ②燈火, ③炭火, ④火事, ⑤狼煙, ⑥飲食熱, ⑦激しい怒り, ⑧月経」とある。月経期間に女性が別棟で暮らす風習があり「別火」といった。花街ではこうした際の隠語を「弱火(よわび)」あるいは「とろり」といっていたようだ。ここから「泥、瀞」などの漢字が使われるようになる。風俗なので詳細は不明だが、少なくともあつかう炎や火加減のことではない。
(分註 追加 [2024.2.13])
※9:問い合わせてみたが、とくに根拠なく「とろ火」としたようだった。正確には「本機能の情報は様々な文献をもとに制作いたしております」としながらも、そうした文献があるかと指摘すると「今後の参考にさせていただきます」とのことだった。好意的にとらえてレシピサイト内のみ使える炎(火力)なのだろう。
まあ、安いし温室効果ガス少ない電子レンジ使えばいいじゃんと私は思ったよ。
※10:図中にある第11図は「y軸が平均時間」なので反比例のグラフではない。当たり前だが「(ガス弱火) 72分」≠「[6 強火1]19分」と等しくならず料理の出来ばえは同じではない。参考までに足りないデータを元論文から載せると次の通りとなる。
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【更新履歴】
第1.2版, 2024.1.22:追記を追加
第1.2版, 2024.2.13:分註を追加
第1.3版, 2023.3.29:このシリーズの結論、あつかう炎を「弱火(とろび)」、アナログな消えた火加減が「弱火(よわび)」によせて「火加減」の安易な使いかたを書き直した。その他、軽微な修正など。
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