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『庭仕事の愉しみ_自然に老いてみよう』

ひさしぶりにカサブランカを買ってみました。咲いているのは2輪。先端の3つは、まだ蕾の状態です。

花瓶に入れてから2日後、上から3番目の蕾に亀裂が入り、まだ固い黄色い雄しべの姿がちらりとのぞくようになりました。その3番目の花が大きく開いた状態になると、一番下にある買ったときに満開状態だった花の真っ白な花弁に、花脈がほんのりと現れてきました。その花脈が明瞭になってくると、花弁自体も薄く茶色に染まってきて、3番目の花に勢いを吸い取られるようにして徐々に萎れていくのです。こうして2番目、1番目の花が開花していくと同時に、4番目、3番目の花が順番に萎れていきました。

勢いよく開いていく純白のカサブランカも美しいのですが、なぜか心惹かれたのは、透明度のあった花弁に老齢という毒がジワジワと蔓延していく姿。張りのある純白の花弁よりも、花脈が浮き出て全体的に淡いブラウンを帯びてきた姿の方が美しく感じたのです。

“友よ、私たちのような種類の人間は絶滅に瀕しています。一度試してご覧なさい。音楽的才能が蓄音器を操作することであったり、きれいにラッカーを塗った車を美の世界に入れたりするアメリカの現代人に──この程度で満足している欲のない人たちに、ためしに一度、一輪の花の死を、ローズからライトグレイへの色の変化をこの上もなく生き生きとしたものとして刺激的なものとして、すべての生命あるものやすべての美しいものの秘密として共に体験するという芸術の授業をしてごらんなさい。彼らはびっくりするでしょう。”(P116)

庭仕事の愉しみ

そこに日本人の美意識を見いだすとしたら、気恥ずかしいですが「わびさび」ということでしょうか。できることなら、完全に萎れてぽとりと花弁が落ちるまで見ていたかったのですが、リビングの真ん中に活けられていたので、そうなる前に妻が介錯してしまいました。

“私が日本人であったなら、祖先たちからこれらの色彩とその混合色それぞれについておびただしい数の正確な呼び名を受け継いだことであろう。そしてこれらすべての色調の名をあげることができたであろう”(P127)

庭仕事の愉しみ

ヘッセは、日本人のことをあまりにも買いかぶりすぎているようです。着物文化が廃れると共に、日本人の色彩に対する美意識も変わったように思うのです。その証拠に萎れていくカサブランカの花弁を私は「淡いブラウン」と表現しました。ヘッセが求める日本人なら、朽葉色とか枯色とでも表現したかもしれません。しかし、もしそう表現したならば、たいていの日本人の脳内には、私が伝えたかった「色」はイメージできないでしょう。

“いいかね、人間の自由意志というやっかいな問題を徹底的に研究しようと思うならば、庭作りに励まなくてはならない。それは単に、どんな灌木でも思ったように育つわけではないという理由からだけではない。決しておまえがその灌木をまったく自由に選んで植えたのではないことが何年も経ってからようやく分かることもあるからだ。ある無意識の願望、思い出、必然性がその背後に隠れているのだ。”(P256)

庭仕事の愉しみ

ところで、いずれやろうと思っている庭作り。いつもプランはたくさんあるのです。しかし、仕事やその他のことで時間を割かれ、「いずれそのうち」と先送りしている問題でもあります。高邁な研究をするしないはともかくとして、そろそろ雑草が生えてきそうなので草むしりぐらいしないとな、ということを思い出させてくれました。

もう白髪染めはやめにしてグレイヘアにしようと思った一冊。

『庭仕事の愉しみ:ヘルマン・ヘッセ_岡田朝雄 訳/草思社文庫』

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