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映画「ラストマイル」を観て思うこと(ネタバレあり)

ラストマイルを観てきました。アンナチュラル、MIU404のファンだった私は映画ラストマイルを知って沸き立った者の一人です。初日から数日経って平日の最終上映で結構なお客さんでした。人気が伺えます。

一人で観に行き誰とも感想も何も共有できず、自宅に戻って「ラストマイル」考察をいくつも見て、ひとり納得したり唸ったり頷いたり。


以下ネタバレありの感想ですので、ネタバレ嫌な方はページ閉じてくださいね。
エレナ共犯説の考察も拝見して、一時はその説に唸り納得していましたが、いや、やはり違うかぁ、エレナは荷物に爆弾を仕掛けるだろうか?
エレナは彼女が亡くなることに賛同するだろうか?
エレナは仕事に誇りを持ち働く女性としてそこに生きている。そんなエレナが宅配物の中身を爆弾とすり替えることに了承しないだろう、ましてや自分の会社の宅配物に爆弾を仕掛けるなんて、良しとする訳がない。
犯人の彼女が爆発死から始まる一連の事件、そんな計画を組む事はさせないだろう、エレナだったらどんな手段を使おうと彼女の死を止めようとするだろう。
そんな考えに至り、また一人勝手に納得してどこか安心していました。エレナがそんなことを企てる人でなくて良かったと。

その後、映画上映前の出演者や監督によるイベントか何かを動画で拝見しで、満島ひかりのアテ書きで書いた映画だったと聞きました。その満島ひかりはイベント締めの挨拶で「これだけの皆様が共演者としてここに集ったことに、」と言いながら、それまでの物語に想いを馳せたように目を潤ませていた。
それを見て、満島ひかりさんをアテ書きしたエレナならば、あの情緒不安定にも見える必死さは何ら不思議なことはなく、エレナの素直な行動なんだろうなと。
エレナ共犯説の考察では、情緒不安定にも見えるエレナの行動は共犯を誰にも知られずに最後まで犯行を行うための必死さだったのではないか、そうでないとあの情緒不安定さに説明がつかない。といったような考察していました。
しかし、満島あかりさん自身がどこか情緒不安定に見えるほど不器用で一生懸命で情熱的な方なのではないでしょうか。
そのイベント挨拶での満島あかりさんの涙を見ながら、当事者でも何でもなく全く関係のない自分が目を潤ませていることに気づき、そんな私は年中、情緒不安定ぎみだろう。そしてそれでもいいかなと「がらくた」をリピートして、そう思わせてくれた。
「ラストマイル」のエンドロールで米津玄師の「がらくた」。映画館では誰一人席を立たなかった。そんなことは初めての経験だった、それくらい米津玄師の曲には力があった。前評判だけでなく誰にも席を立たせない力があった。それにまた感動した。
いくら「がらくた」でも山崎や筧まりかのように一線は超えられない、幸いなことに私にはあそこまでできないなと思えた。そんな根性のない中途半端な人間でよかったと心底思えた。
山崎と筧まりかはどこかで正気の沙汰を失ったのだろう、飛び込みにまで踏み込んでしまうのは、やはりどこかで壊れ歯止めがきかず正気の沙汰を失ってしまったのだろう。そのままに山崎は意気揚々と父と自分のために飛び込んでしまった、その後に病院のベッドの上で我に返り正気を取り戻し、「バカなことをしてしまった」と力なくつぶやいたのだろう。
そうなる前に正気を取り戻していれば。

まりかもまた山崎を止められなかったのか、まりか自身が追い込んだのか、それすら知れないことの絶望、己への贖い、取り戻せないであろう山崎の正気に向き合いすぎて、歯止めがきかず正気の沙汰を失ってしまったのだろう。
映画でない日常では、誰もがそうなる前に踏みとどまれる何かや誰かがあればと願う。
幸いなことに私にはその踏み止まれる何かや誰かがいる。違いはただそれだけのことなのだろう。これからもそれを大切にしていける、そういうことを探しに行く自分であろうと思う。
それがあれば壊れたままでも構わないだろう、それも私の個性だろう、世の中に何一つ壊れていない人などいないだろう、普通の人などいないだろう、改めてそう思わせてくれた映画でした。

エレナを踏み止まらせたのは信念だろうか、それともエンドユーザーのお客さんだろうか、きっとどちらもだろう。
映画の最後ではエレナがアパートに暮らすお客さんのために配送ドライバーに、自ら荷物を渡すシーンがある。
そうしたいと思い、それができるエレナだから、踏み止まれているのだろう。
さらにそれを超えて物流を変えようと動き、実現に一歩踏み込めたのだろう。私もそうありたいとそう思った。

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