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新任教諭が伝える2度の震災 石巻市あゆみ野・熊谷拓哉さん(22)

 石巻専修大学人間学部人間教育学科4年の熊谷拓哉さんは、東日本大震災で石巻市釜地区の自宅が全壊。その後、父親の転勤で移り住んだ熊本県でも熊本地震(平成28年)に遭うなど、10年間で2度の大災害を経験した。熊谷さんは本年度宮城県教員採用試験に合格し、今春から小学校の教壇に立つ。「2度の大震災に遭ったからこそ語れる経験や防災がある。命の大切さを子どもたちに伝えられる教諭になる」と決意を語った。

 あの日、釜小6年で卒業を間近に控えていた熊谷さんは、4階の教室で担任やクラスメートとお楽しみ会をしていた。そこに襲ったかつてないほどの激しい横揺れ。次々倒れるテレビや棚、泣き出す児童で教室内は混乱に陥った。

 余震が続く中、母と姉(当時青葉中2年)が釜小に来て、妹(釜小4年)、いとこ(同5年)と5人でひと晩を過ごした。海に近い、同市新館にあった自宅は津波で全壊した。

 翌日、熊谷さんら家族はより内陸にある青葉中に移動し、生死が分からなかった父とも1週間後に再会できた。父は勤め先の南浜町の水産加工場から従業員と一緒に日和山に逃げ、津波を免れたという。

 熊谷さん一家は約2カ月間、青葉中で避難生活を送り、その年の5月、父の転勤で熊本県熊本市東区に移住。「友だちと離れるのもショックだったし、被災していない土地(熊本県)で何不自由なく普通の生活をすることが、石巻で大変な思いをしている人たち対して本当に申し訳なく、罪悪感が拭えなかった」と当時の葛藤を明かした。

復興の階段 熊谷拓哉さん (21)

東日本大震災と熊本地震。2度の大災害を経験した熊谷さん

 そして高校3年の春、4月14日午後9時26分。自宅アパートの部屋で寝ていた熊谷さんは急に下からたたかれるような強い揺れに襲われた。熊本地震だ。東区は震度7を観測した益城町から1キロも離れていない地域。ガス漏れの危険性もあったことから家族全員で近隣小学校の校庭に車で避難したが、同16日午前1時25分には、さらに規模の大きな本震が襲った。自宅や家族に大きな被害はなかったが、2度の大災害で自然の恐ろしさを改めて痛感した。

 「石巻に帰り、この経験を子どもたちに伝えられる仕事に就きたい」。古里の石巻専修大学で教職員になるための勉強ができることを知った熊谷さんは、迷わず同大への進学を決意。これを機に、家族は石巻に戻り、蛇田地区に家を建てた。

 教員を志したのは熊本に越したばかりのころ、親身になって支えてくれた恩師の存在が大きい。「勉強も遅れていた私を支え、相談にも乗ってくれた。そんな先生の姿にあこがれた」と振り返る。熊谷さんは教員になるための勉学に励み、教員採用試験に合格した。

目に見える復興は 7段目

 復興を最大10段の階段で例えたら「地域の復興過程を見てきたわけではないので難しいが、石巻に戻ってきた時、『ここも非可住地域になったのか』『こんな道路ができたのか』などと変わり様に驚きの連続だった」と語り、その上で、「目に見えるハードの復興は7段、人の心の復興は5段」と判断した。

 「2度の大災害に遭っても無傷で生かされている自分がいる。今後、震災を知らない世代が増えてくる。だからこそ経験や教訓を伝えていかなければならない。私の心に寄り添ってくれた恩師のように、私も子どもたちの心に寄り添える先生になりたい」。

 新任教諭となる熊谷さんは、今春から登米市立加賀野小で教壇に立つ。未来への〝希望〟を育むために。【山口紘史】


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