
「教訓語り継ぐ花火に」語り継ぐ3.11|2025④
東日本大震災から来月11日で14年になる。犠牲者は避難生活で体調を崩すなどした関連死を含め、約2万2千人。その半数は宮城県で、中でも石巻地方は5301人が犠牲になり、696人が行方不明のまま。目に見える形での復興事業は終わり、被災した人の体験や苦悩は心の中にしまわれている。伝えなければ忘れてしまう記憶。悲劇を繰り返さないため、さまざまな人の3・11を語り継ぐ。
震災ボラきっかけで移住
東日本大震災のボランティアがきっかけとなり、都内から石巻市渡波に移住した平井希美枝さん(45)。夫で写真家の慶祐さん(同)=香川県出身=と、2歳の双子とともに暮らしており、石巻での生活はもうすぐ10年目に入る。【渡邊裕紀】
渡波地区で3月11日の夜に行う「3・11慰霊の花火」の実行委員でもある。「次の世代に震災について考える機会を持ってもらい、教訓を語り継いでいければ」と話し、花火打ち上げの準備を着々と進めている。

都内の病院に勤務中に東日本大震災に遭遇した。「東京でも相当な揺れで、電車が止まり帰れなかったことを覚えている」と話す。その後、職場で震災の話題が出るたびに違和感があり、自分の目で被災地を確かめたいと週末の度にボランティア活動で石巻市に向かうようになった。
同じくボランティアで石巻に来ていた慶祐さんと出会い、2人で被災地の現状を世界に伝えるNGOのピースボートが主催する3カ月間の世界を巡る船旅に参加した。帰国後は人の温かさや環境の良さに魅力を感じて2人で石巻市に戻り、平成24年に同市流留に定住した。
同28年には地元の神社で古き良き花嫁行列を再現した結婚式を挙行。地元の復興支援団体「チームわたほい」や交流のある漁師たちも協力し、地域全体が華やかな祝賀ムードに包まれた。
平井さんは「渡波は本当に人が温かく、子どもができてからそれをより感じるようなった。距離の近さが何よりの魅力」と話す。今ではすっかり、石巻市民として地域に溶け込んでいる。魚の干物のおすそ分けや子どもの見守りなど、渡波は人のつながりが強い地域ならではの空気があるという。
震災をきっかけに移住したことで、都市部の生活では経験できない港町のさまざまなことを知った。「もし震災がなければ違う人生になっていたかも、と考えてみても、東京での生活は全く想像できなくなった」と話す。

震災後に始まったビーチクリーン活動「石巻海さくら」にはスタッフとして参加。月に1度、現在も継続しており、計138回を数える。石巻市内の各浜を巡っており、同市や地元企業も協力するなど、毎回多くの市民が参加する取り組みに育っている。
夫の慶祐さんは、写真家として震災後の石巻を撮影し続け、震災10年となった令和3年には写真展を開催。地域住民が写真をきっかけに会話や交流をする場を提供した。
同4年から住民有志が始めた「3・11慰霊の花火」には、昨年から夫婦で実行委として参加している。「渡波地区は家族を亡くされた方が多い。そうした悲しみを忘れず、震災を語り継ぐために花火を上げていきたい」と平井さん。
今年は11日午後7時から、尺玉(10号玉)を含む94発を約15分間打ち上げ、追悼と復興を願う。
いいなと思ったら応援しよう!
