世界のオザワと石巻 ㊦
縁あり三度タクト振る
世界に誇るマエストロ、小澤征爾さん(享年88)は、縁あって石巻で3回もタクトを振った。ゆかりの人たちには今も強烈な思い出として焼き付いている。
東京都出身のバイオリニスト鈴木加寿美さん(47)=スイス在住=は、父親の親友が石巻在住だった縁で、東日本大震災前に7回も石巻で公演したことがある。桐朋学園の学生時代、大先輩の小澤さんから直々に手ほどきを受けた。
学生オーケストラの一員として、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を演奏した時のこと。「度肝を抜かれたのは小澤先生が、この難曲を全て暗譜で指揮したこと。スコア譜は160ページあり、オケの人数も100人近く。楽器も多い上に不協和音なども多い曲なので、どのように演奏を制御したのかが不思議」と話した。
小澤さん恩師、石巻出身
小澤さんは2回目の石巻公演となる昭和51年9月12日の石巻市民会館公演では、新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した。この時、小澤さんの出身校・桐朋学園の生江義男学長が石巻日日新聞に寄稿。当時、小澤さんの控室に入ると「先生どうしてここに」と問われたと記している。ここで初めて小澤さんは、生江学長が石巻出身であることを知ったという。
公演実現に尽力した石巻芸術協会の石島恒夫さんも、生江さんが石巻高校の教壇に立っていた時の教え子。石島さんの次男、正博さん(64)=現桐朋学園大学教授=は当時、桐朋学園音楽科高校2年に在学中で、石巻日日新聞に演奏会雑感を寄せている。
チャイコフスキーの交響曲第2番などを指揮した小澤さんを「オーケストラから実にいろいろな音色を引き出すマジックペインター(魔法の画家)」と評価。共演したバイオリニスト、潮田益子さんのことも「音そのものが美しく、実に洗練されている」と絶賛した。
今回、改めてコメントを求めると「小澤先生は桐朋生にとって音楽的シンボル。海外で先生を知らない人はいない。日本人でも西洋音楽をやっていることが先生の活躍以前と以後では全く違った。野球の野茂やイチローみたい」と存在感の大きさを表した。
深い人間愛と強烈印象
父の恒夫さんは小澤さんと気が合ったらしく、小澤さんの母親とも交流があったという。また、石巻公演後、何かを食べ過ぎた小澤さんを恒夫さんが知り合いの内科に連れて行ったというエピソードも明かした。
昭和48年9月15日の小澤さんと新日本フィルハーモニー交響楽団による最初の石巻公演(石巻市民会館)の模様は、地域誌「月刊ひたかみ」創刊号(49年10月号)に紹介されている。ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、R・シュトラウス交響詩「ドン・キホーテ」、ベートーベン交響曲第5番「運命」が演奏され、ソロで堤剛さん(チェロ)、安永徹さん(ビオラ)が加わった。
リラックスした表情の小澤さんの写真とともに「リバーサイドホテルでの歓迎会では両親と共に石巻を楽しんでいた」と書かれていた。
演奏だけでなく、触れ合った人々に強烈なインパクトを残した小澤さん。東北の地方都市に、これだけ思い出を残してくれたことにあらためて感謝し、ご冥福を祈りたい。
【元本紙記者・本庄雅之】
最後まで記事をお読みいただき、ありがとうございました。皆様から頂くサポートは、さらなる有益なコンテンツの作成に役立たせていきます。引き続き、石巻日日新聞社のコンテンツをお楽しみください。